碧電周年記念 続・特製ヘッドマークを掲げた列車たち

通算第42回 「さようなら清水港線」  05.3.11UP

末期の頃は既に貨車は付かなくなっていました。清水港線最終日の臨時増発列車

●「ぽっぽや」に見送られた最終列車

東海道本線の清水駅の隅っこから折戸湾を囲うように敷かれていた清水港線。沿線の名所、三保の松原からは白い砂浜、松林、青い海に沿って走る姿が想像されますが、現実的には倉庫や工場が建ち並ぶ殺伐とした風景の中を走る典型的な臨港線でした。今は激減した臨港線の中でも、旅客列車が運転されていた清水港線は多くの方々の記憶に残る路線でありましょう。旅客列車の設定は1日たった1往復。貨車も一緒に連結された混合列車であることや、巴川に架かる可動橋、そして、所々分岐する引き込み線がいかにも臨港線らしい風情を醸し出していました。
 1980年代当初、国鉄ローカル線の膨大な赤字が社会問題となり、一定の条件を満たす路線は鉄路の役割を終えたとして廃止されることになりました。輸送量が少なく、延長も短い清水港線は文句なしに国鉄再建法による第1次地方交通線に指定されてしまいました。
 この当時、1983.10の白糠線を皮切りに、一次対象路線が相次いで廃止されましたが、遠路各線を訪問するだけの資金も気力もありませんでした。しかし、春休みを過ごした郷里から東京の下宿へ戻る経路上にある清水港線だけは訪問することにしました。
 廃止間際になった頃には牽引機に天女をあしらったヘッドマークの取り付けが行われ、沼津のお座敷客車「いこい」による臨時列車や、DD13に混じって使用されていたDE10やDE11にも取り付けられたようです。
 最終日の84.3.31、清水駅前からバスで沿線へ向かい、臨時列車1本を撮影した後、最終列車に乗車するため、三保駅の列に並びました。駅前ではにぎわいを当て込んだ物品販売や、踊りの披露などがあって、なにやらお祭りのような雰囲気でした。
 その一方で、地味ながらも対照的だったのが巴川口です。貨物輸送に携われた方々でしょうか、黄色いヘルメットをかぶった職員の皆さんが大勢並んで最終列車を出迎えられ、乗客と握手を交わしました。駅長さんがマイクで挨拶のあと、最後の出発合図を出し、DD13が寂しげな汽笛を鳴らして発車しました。
 「ぽっぽや」の皆さんはどんな思いで最終列車を見送られたことでしょうか。清水港線を守って来られた皆様に触れることができたのは大きな収穫でした。

DD13140(静)牽引の増発臨時列車 1984.3.31 清水港線 折戸にて


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