■東中関駅第4展示室

●豊橋周辺の飯田線 1976〜    20.4.5

5周年企画、「蔵出し個性派旧型国電」では、飯田線は扱いきれないボリュームであるとして対象外にしました。東中関駅の1展示室を設置し、当面は旧型国電を掲載していきます。
 ツイッターに掲載した2コマを追加しました。(23.8.24)

(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。

流電クモハ52001
豊橋で発車を待つクモハ52001

1976年(昭和51年)、夏休みが残り僅かになった頃、近所のおじさんの実家に私たち兄弟も連れて行っていただきました。記録ノートによると、本長篠までこの編成に乗車したようです。中間車のサハ75は70系の1等車からの格下げ車で、少しリッチな気分を味わうことができました。
 流電は豊橋機関区30番台運用に充当されていましたが、日中は昼寝の運用が多かったため、乗車できたのはラッキーでした。

荷物車クモニ83付の電車
本長篠を発車する637M。最後尾のクモニ83101をショット

近所のおじさんの実家では近くの川で泳いだりして遊び、泊めていただきました。おじさんに連れて行っていただいた子供は7人。大勢でお世話になったものです。
 本長篠で帰りの電車を待つ間、来た電車を撮りました。形式はクモニ83ですが、自宅近くの東海道線を走っていた基本番台はモハ72の車体乗せ換えをしたもので、似ても似つかないものでした。

流電クモハ52003
広窓張り上げ屋根のクモハ52003が発車時刻案内サボを掲げて豊橋駅で発車を待つ

1977年(昭和52年)の夏休み、仲間と連れ立って名鉄キハ8000系に乗ろうということになりました。知立は通過だったため、東岡崎から乗車しました。豊橋到着後、ここには来ないEF10牽引の貨物列車を撮るため、江島へ移動します。クモハ52003が最後尾の編成は豊川行ですが、流電に乗りたくてそのまま乗りました。
 発車間際まで掲げられた発車時刻入りのサボも懐かしいものです。

異形式重連266レ
豊川に到着する重連貨物列車266レ。お盆なのにワフ付きだったのは救い。

1978年(昭和53年)の夏、飯田線は大きな変化が迫っていました。流電クモハ52などが80系に置き換えられることになっていたのです。鉄道ファン誌には現業機関の神谷静治さんという方がホットな情報をたびたび投稿され、高校生でも事前に動向を知ることができたのでした。
 貨物列車に関してはED62が南部にも進出し、多くの運用を担っていましたが、まだEF10も残っていました。有名だった重連の運用、266レの前位は神谷さんの記事によれば、基本的にEF10が入ることになっていたようで、EF10+ED62という組み合わせになりました。

茶色塗装時代のクモハユニ64000
茶色塗装時代のクモハユニ64000。クモニ83を切り離して発車し、顔が見えた。

居間の引き出しの中身を整理していたところ、古いネガが入っていました。その中にずっと紛失したと思っていたネガがまとまって見つかりました。1981〜82年撮影の10本です。1983年に自宅を建て替えたときに移動し忘れたか、あるいは、古新聞に挟まっていてリサイクルに出してしまったのだろう・・・。ほとんど諦めていたものです。
 大学進学のため、埼玉への引っ越しが1週間後に迫った頃の撮影です。半年後の1981年9月の全検でスカ色に塗り替えられ、茶色時代はこのとき限りの撮影となりました。

さよならゲタ電
満足な写真がなかったクモハ53008を撮影する最後のチャンス

飯田線の旧型国電は1983年6月末には119系への置き換えが完了しました。私自身は春休みに北部へ行ったのがお別れのつもりでした。しかし、ファンからの要望に応える形で、さよなら運転が3回行われることになりました。中部天竜に疎開留置されている編成を使用して、初日は伊那松島へ。翌日に中部天竜へ戻す運用です。当初は特に人気車両を使う予定ではなかったようですが、変更によって下り方はクモハ53008が使われました。

最後の本線走行
クモハ61形の走行シーンを撮れずじまいにならずに済んだ。

「さよならゲタ電」を撮影した2日後、西浜松に疎開留置されていた6両が解体先の日車豊川へ自力回送されました。東海道下り線から飯田線へ入るには、豊橋駅で入換が必要になります。それを避けるため、いったん西小坂井まで行って折り返しました。
 この編成には飯田線では3両が配置されていたクモハ61形が2両入っていました。同形の走行シーンを撮ることができたのは、この日限りでした。

通い慣れた飯田線を走るのも最後
解体先である日車豊川へ回送されるクハ68404

昭和50年代、二俣線用のキハ20は名古屋工場で定期検査を受け、上りの回送列車として試8730Dという予定臨ダイヤが設定されていました。私は学生時代を関東で過ごし、長期休暇の帰省時にしか地元に戻ってこなかったこともあり、試8730Dの運転日が判明したのは83.8.9の1回だけです。旧型国電の廃車回送はなんと、同じ日の設定で、しかも、時間が接近していました。
 キハ20を碧海エリアで撮りたいのはやまやまでしたが、飯田線の廃車回送も見逃せません。撮影地はこの付近しか選べませんでした。(クハ68408は404の誤記でした。)

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