■東中関駅第3展示室

●昭和50年代の近鉄名古屋線を中心に    20.3.15

1976.12、関西線の特急「くろしお」を名古屋駅ではなく、沿線で撮ろうということになり、近鉄を利用して八田へ向かいました。その時に初めて近鉄特急にカメラを向けました。同年10月に名鉄のキハ8000系「北アルプス」が特急に格上げされた機会に初めて名鉄を本格的に撮りましたが、それまでは「国鉄しか撮らない」という偏屈とも言えるこだわりがありました。それから2ヶ月後、近鉄の魅力も知ることになったのです。
 重厚なタイフォンを鳴らして次々にやって来るいろいろな形式の特急列車にすっかり魅せられてしまいました。しかし、名鉄「北アルプス」の特急格上げという出来事がなかったら、食わず嫌いのままで、これらの写真は撮っていなかったかもしれません。

●名阪ノンストップ特急

難波を出て上本町、鶴橋に停車すると、あとは終点名古屋まで停まらない名阪ノンストップ特急。古くから運転され、近鉄の柱の1つと言える列車です。ところが、昭和50年代前半、停車駅が多い通称「乙特急」や伊勢志摩方面への特急列車と比べると明らかに短い編成が目立ちました。
 1988年、21000系「アーバンライナー」の投入によって陳腐なイメージを払拭する改革が行われ、6〜8両でも満席となるほどにお客さんが戻ってきました。それから30年以上が経ち、2020.3.14、名阪甲特急用の新型車80000系「ひのとり」がデビューしました。四十数年前は12000系がたったの2両で駆け抜けていたことを思うと、高級感が漂うエクステリア、インテリアには隔世の感があります。(20.3.15)

(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。

12000系スナックカー
スナックカー2両編成のノンストップ特急

名阪ノンストップ特急の最短編成は2両。写真は12000系「スナックカー」です。乗務員扉と乗降扉との間に小さく「Snack Car」のロゴが入っています。車体更新を受ける前で、行き先と「ノンストップ」の標識は手差し式です。
 当時の記録ノートによれば、名古屋線と大阪線で列車の上下が異なるためか、難波発が1桁〜、名古屋発が50番台〜で、偶数、奇数による区別ではなかったようです。

10100系ビスタカー(C編成)
10100系ラストナンバー編成の名阪ノンストップ

2007年の30年シリーズからの復活掲載です。
 この日は団体募集のポスターを見て、20100系「あおぞら」を期待して撮影に訪れましたが、実際は2610系で見事にスカタン。代わりに撮れたのがこちらです。しかし、ポスターを見なかったら撮りに行かなかったかも知れないと思うと、今さらながら価値のある記録を残すことができたと思います。
 踏切から先は国鉄の施設ですが、当時、踏切は横断禁止にはなっていませんでした。

10100系ビスタカー(A編成)
名古屋で発車を待つ10100系A編成の名阪ノンストップ

この日は30000系「新ビスタカー」の試乗会列車が運転され、それを見に行くために四日市駅まで特急券を買っていました。席は2号車です。そして、入線して来た列車は・・・。なんと10100系「ビスタカー」の3連です。2号車だから2階建て車に乗れる!と狂喜したのは束の間。先発の難波行ノンストップ特急と気づき、ぬか喜びに終わりました。
 30000系の増備によって10100系は引退していったため、同系の「ノンストップ」が撮れたのは喜ばなくてはなりません。

10100系ビスタカー(C編成)
名阪ノンストップ特急の運用に就いた10100系ビスタカーC編成(両貫通型)+スナックカー2連

19.8.11付構内放送で扱った写真です。公開終了とせず、当展示室の常設とします。
 この当時、名阪ノンストップ特急には主に12000系や12200系が使われていたと思います。そんな中、後打ちながらも撮れたのが「スナックカー」+「ビスタカー」C編成の5両編成でした。
 一般の特急は空色の行き先札を差し込んでいたのに対して、「ノンストップ特急」は黄緑色の札でした。

11400系新エースカー
前年は10100系ビスタカーだった59レは11400系になっていた。

1978年5月に撮影した名古屋9:00発の59レです。1年前に撮ったときは10100系「ビスタカー」の3連でしたが、同系の廃車が進み、車種変更によって11400系に変わったようです。11400系も10100系と同様に黄緑色の「ノンストップ」札を掲げていました。
 こんな短い編成で需要をまかなえていたのは驚きですが、当時は国鉄の相次ぐ値上げにより、近鉄名阪特急の乗客数が増えていたと言われます。

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