●分割民営化後の名古屋駅および周辺にて
第一展示室では国鉄時代の作品を集めましたが、本展示室は分割民営化後の作品を扱います。既に撮れなくなっているものを掲載対象とします。
勘違いに気づいたのですが、EF6466号機の「みやび」は国鉄時代でした。「みやび」は1986年の暮れに余部鉄橋から転落するという事故に遭遇しており、新会社へは引き継がれていません。第1展示室に移設しました。
(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。
DE10+「旅路」名古屋入線客車区からDE10に牽かれて名古屋駅へ据え付けられ、誘導係員がデッキから降りたところを撮ったようです。先頭のDE101502は貨物会社所属であることに初めて気付きました。東海会社もDE10は持っていましたが、客車区の入換、名駅への据え付けは貨物会社へ委託されていたのでしょうか。
ナゴヤ球場正門前行 new名古屋港線がナゴヤ球場(当時の中日の本拠地)のゲートの前を通っているのに目を付けたJR東海の幹部が、臨時の直通列車を運行することを思い立ちました。国鉄時代であれば、名古屋鉄道管理局から東京の本社に伺いを立てて決済を取り付けるという手続きが必要になったことでしょう。しかし、民営化によって本社が名古屋になったため、実行には驚くほど早い決断が為されました。ただし、僅かな区間ながらもJR貨物が保有する線路を走行することや、営業運転の実績がない区間での営業となることから、監督官庁の了承を得ることは必要であったことと思われます。
ユーロ色になったDD51791 new国鉄時代編では初代ユーロ塗装のDD51である592号機が1986.11ダイヤ改正までに引退して、後継機には791号機が起用されたことに触れました。いつのことであったかは覚えていませんが、ある日、名古屋駅の機関車留置線にユーロ色に塗り替えられた同機がいるのを出勤途上の電車から見かけました。592号機の引退で一時的に消滅していたユーロ色のDD51が復活したのでした。
この日は「ミステリー飛騨古川町民号」というヘッドマークを掲げ、12系の団体臨時列車を牽引しました。
記録ノートに残るメモによれば、名古屋から客車を関西線方面へ回送して、お客さんを乗せて飛騨古川へと帰って行ったようです。
稲沢機関区一般公開この日は稲沢機関区の一般公開があり、鉄仲間と行きました。新会社への移行初年度であり、社会的なPRを目的としたものだったのだろうと思います。今のように入場制限をしなくてはならないほどの大混雑ではなかったと記憶しています。
展示されたのはお召経験機のEF6477、DD51820のほか、稲沢区では唯一の試験塗装機のEF65116などです。
EF6477号機は廃車後も保管され、JR貨物更新色からお召列車牽引時の姿が再現されました。しかし、2020.1、結局解体されています。リニア鉄道館にはDD51、EF64、EF65のいずれもが選外になってしまいましたが、輸送近代化世代が手薄なのは残念です。
デビューしたてのリゾートライナー1988年(昭和63年)にJR東海でデビューした「リゾートライナー」です。特急型キハ80系の改造である点が珍しいと言えます。
先頭車(キロ80801、82801)はハイデッカータイプの展望席を備え、種車のイメージはほぼ払拭されています。一方、中間車(キロ80701)は窓配置やクーラーがキロ80のままで、車体がそのまま利用されていることがわかります。屋根上にはキロ80の特徴であった大きな台形状の水タンクが載っています。(2両にあり)窓は隅にRがない角張ったデザインで、既製サッシのような安っぽい感じになったのは残念です。
連結器はカバーに隠されて見えませんが、後にキハ58+65が併結される機会が増えました。(種車の80系は他系列との併結は不可)
103系東海色リニューアル車1977年に神領へ転入した103系は古いものが多く、見劣りしていました。民営化後、リニューアル工事が行われました。一部はインバータークーラーを装備し、塗装が「東海色」に塗り替えられました。この塗装は119系やキハ40系にも波及したのは皆さんご存知のとおりです。
第1展示室、国鉄編で103系はまともな写真がないと記しましたが、この東海色も同様で、2コマしかありません。
この日は前夜の大垣夜行375Mで名古屋に着いた時、初めてこの塗装の103系を目撃。まだ目新しかったこともあり、カメラを向けたようです。
キハ58・65 快速みえ快速「みえ」の運転が始まったのは1990.3ダイヤ改正からのことでした。当時の職場は東京でしたが、運転開始間もない頃に紀勢線を訪れる機会があり、早くも撮影しています。
記憶の限りでは名古屋−松阪間最速71分であったと思います。それを記した看板が主要駅に掲げられました。近鉄に比べると圧倒的に不利であった所要時間が伊勢鉄道経由の直通運転で短縮され、特急料金が必要な近鉄の特急と比べると速さ、運賃とも勝負をかけていたことがうかがわれます。
ヘッドマークを取り付け、新会社としての力の注ぎ方が伝わってきます。
DD51ユーロ色+シルフィードnew1990年9月に運行を開始したJR東日本の欧風電車「シルフィード」は電車ながらもディーゼル発電機を搭載し、機関車牽引によって非電化区間にも乗り入れが可能でした。その機能を使って翌10月には早速東海エリアの非電化区間に乗り入れています。
牽引にはユーロ色のDD511037号機が充当され、この年の鈴鹿F1臨時列車の目玉となりました。
この「シルフィード」に関しては、それほど機会が多くはなかったはずの機関車牽引のシーンはなぜか何度も撮りましたが、パンタグラフを上げて自走する姿は1度しかチャンスがありませんでした。
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