碧電9周年記念 な仲間たち

第27回 901系  10.5.9 UP(23.3.11 写真の画質改善)

「半分」がコンセプトの新型通勤電車

●「半分」がコンセプトの新型通勤電車

国鉄で初めて登場したVVVFインバーター制御車は第5回で扱った207系900番台です。しかし、同車は走行性能や価格の高さに問題があり、試作車のみに終わりました。分割民営化後、JR東日本ではしばらく205系の増備が続きましたが、1992年に従来とは思想を変えた新形式通勤車が登場しました。その名は901系。後に量産される209系としてではなく、900番台の形式を名乗ったことは注目に値します。
 電車は自動車などとは違って耐用年限が長く、使っているうちに時代遅れとなり、整備用消耗部品の調達が難しくなることが問題でした。そこで、901系ではまだまだ大量に走っていた103系との比較において、重さ半分、値段半分とする代わりに、寿命も半分というコンセプトで開発されました。さらに、軽量化や電動車比の低減などにより、消費電力も半分となりました。
 設計においては航空機や自動車などの強度計算に使用された有限要素法による解析を行い、車体構造も従来の電車とは大きく変更。軽く、安くを目指しました。
 901系はA編成からC編成まで10両編成3本が製造され、京浜東北線で営業運転に投入されて比較が行われました。そして、1993年2月には量産車209系が登場しました。901系の3本は後に量産化改造を受け、209系900、910、920番台となりました。扉上部の帯は登場時は黒でしたが、209系に編入される際に量産車と同じスカイブルーとなりました。
 当初の触れ込みでは寿命は10年とも言われましたが、実際にはもう少し長生きしました。

 901系が登場した頃、私は関東在住で、通勤に京浜東北線(山手線並行区間)を利用していました。ある日の帰宅時、103系とは明らかに違うヘッドライトが見えてきたときにはかなり興奮したのを覚えています。乗車してからも講釈を垂れている私・・・。同乗していた同僚にはどのように映ったでしょうか。(笑)
 同系を撮影するチャンスを逃したまま、1993年2月、私は大阪へ転勤になりました。しかし、その直後、応援で東京の本社へ1週間の出張が入りました。心残りだった同系の撮影と、こちらも機会を逃していた川越に住む伯父への挨拶を済ませて帰阪しました。

この日は京浜東北線を撮影。よく被るので撮影時には疫病神扱いしていましたが、103系や205系とともに今となっては貴重な記録に。901系C編成 1993.2.20 蒲田−大森


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