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ユーロライナーさよなら特集
2005.4.19、「ユーロライナー」がついに廃車回送されてしまいました。同車の引退を惜しみ、登場から引退まで、約20年間に撮影した写真を一気に21枚公開します。掲載方針として、できる限り多くの種類の機関車が登場するように選定を行いました。歴代の専用塗装機はなるべく全機登場させるようにしましたが、「続・特製ヘッドマークを掲げた列車たち」に掲載したばかりのDD51592はそちらに代えさせていただきます。
なお、解説文を短くするため、撮影日、場所などのデータは拡大画像のウインドーに表示します。
●国鉄時代
ユーロライナーのデビューは1985.8のこと。東京南局の「サロンエクスプレス東京」、大阪局の「サロンカーなにわ」に続いて名古屋局が12系を改造して製作した3本目の欧風客車でした。当初の頃、週末は中央線、高山線、紀勢線の多客臨時急行に使われることが基本でした。団臨用客車ならではの楽しみである珍しい路線への入線や多様な機関車との組み合わせが土休日にはなかなか見られないのが悩みの種でした。
稲沢のEF65一般型デビューから分割民営化まで、東海道線では稲沢のEF65一般、F、PFが共通で使用されましたが、やはり両数の多い一般型が大多数でした。民営化後はJR貨物へ引き継がれる2桁ナンバーも充当されました。
EF64一般機が多かった頃冬場は中央線の多客臨で使用されました。出勤時、名古屋到着直前に発車してゆく同列車をよく見ましたが、専用塗装機EF6466号機はなかなか充当されず、一般型の方がよく見かけました。
引退直前のEF62(関)1986.11ダイヤ改正の直前、もしや高崎への転属を控えた稲沢のEF65Fでは?と、出勤前に撮りに行きました。ほとんど期待していなかったのですが、なんと、荷物列車の廃止で引退間近のEF62(関)が牽いてきてびっくり!
●民営化後
民営化後は収益率の問題からでしょうか、他社線エリアに進出する機会が大幅に減りました。しかし、専用塗装の機関車はEF64、EF65、DD51の各形式とも最盛期には各々2両が準備されました。国鉄時代には貨物用機が牽くことが多く、見劣りしたのに比べ、統一された美しい編成を見ることが多くなりました。
多客期には、例えば、コンパートメントカー4両は「カートレイン」に、残った展望車は高山線の急行「奥飛騨」にというように、無駄なく運用されたほか、冬場など、帰省臨の運用から帰ってくると、息つく間もなく夜行のスキー臨に使われるなど、活気がみなぎっていました。
EF65にも専用機が登場国鉄時代から民営化後も東海道線のEF65には専用機がありませんでしたが、年末になってEF65105が専用塗装に塗り替えられました。年末年始の「カートレインユーロ名古屋」では一般塗装機と交互に早速使用されました。
ジョイトレ大集合1989.11、四国ではジョイフルトレイン大集合というイベントがあり、JR各社からジョイフルトレインが瀬戸大橋を渡って来四しました。専用機EF65105の牽引で四国へ渡り、多度津でDE10重連に付け替えられました。
アイランド色DE10重連翌11.3は高松からアイランド色のDE10重連との組み合わせが実現しました。この日は他にEF651019+「レインボー」、DE10一般色+「アイランド」、DE10重連+「あすか」、EF65PF+「サザンクロス」と、多彩な組み合わせを楽しむことができました。
東京駅まで乗り入れ毎年夏休みには東京ディズニーランドへの団臨が東京駅まで運転されていました。機回しができないため、いつもならば「出雲2号」の回送を牽くEF65PFに牽かれて品川(操)へ回送されました。その後、EF65PFとの組み合わせでは、ATS-Pを使用する関係で、東海会社エリアまで迎えに来たこともありました。
シュプールユーロ赤倉・志賀 1993年の冬、シュプールユーロに初めて乗車しました。大阪へ転勤した直後だったため、行きは近鉄特急に乗って名古屋で友人と合流。帰りは単独直江津経由で糸魚川へ出て、181系DCの「シュプール白馬・栂池」で帰りました。妙高で滑って「白馬・栂池」に乗って帰るという変な客でした。
中央線にもEF65が1993年頃、中央線にもEF65が入っていました。東海のものだけでなく、西日本のEF65PFも入っています。中津川以遠でSLが走っていた頃は中津川までEF58やEF60も入っていたとのことなので、可能だったのでしょう。しかし、その後はまたEF64オンリーに戻りました。
DD51専用機が関西圏へ下関までロングランしていたEF65はともかく、中京地区のDD51が大阪までやって来ることは国鉄時代末期に運用が広域化されるまでは考えられないことでした。
紀伊半島をぐるりと紀勢本線の西日本エリアまで紀伊半島をぐるりと回る列車もしばしば運転されました。名古屋から亀山で折り返すと紀勢本線内は海側が個室となり、各部屋から海が見えたことでしょう。
電化間近の山陰本線山陰本線へも時々姿を現しました。多くの場合は京都でJR西日本のDD51に付け替えられましたが、京都までユーロ色のDD51で来た場合はそのまま山陰本線へ直通することもありました。
EF81標準色北陸本線への入線時は標準色とトワイライト色のどちらが牽引するかの楽しみがあり、何度も足を運びました。この日は「あすか」と「ユーロライナー」がわずか11分の間に連続してやって来るという効率のよいダイヤでしたが、両列車ともローズピンク機でした。
短縮編成で飯田線へ飯田線へも年に1〜数回姿を見せていました。デビュー当初は南部DE10、飯田以北がED62(夜間に実績がある模様)でしたが、その後は両形式よりも古いEF58の担当になりました。交換線有効長や団体の規模の関係で、編成が短縮されるのが普通でした。
地味な存在だったEF651061996年当初、EF65初代ユーロ色の105号機が検査切れと共に引退しました。代わりとして、静岡に常駐し、主に工事列車に使用されていた106号機がユーロ色になりました。EF65では唯一なかったヘッドマークステイは105号機のものが移設されたと言われています。
●衰退期
多客臨時列車にフル編成や一般の14系座席車などとの混結で使用された「ユーロライナー」でしたが、PR不足や料金の高さのせいでしょうか、一部を除いて乗車率は低迷し、昼行の多客臨時列車は姿を消しました。年末年始や夏休みに運転された「カートレイン」や「シュプールユーロ」は定着した感があったものの、これらも次第に利用客が減っていきました。乗り入れ先の東日本や九州にとってはほとんど「うま味」がなかったのは想像に難くありません。言うなれば、民営化による弊害も影響して運転中止に追い込まれました。
月刊情報誌でも「設定なし」と記載され、月に1度も運用がないことが目立つようになりました。そして、世紀が変わる頃には毎年のように「今年度限りで引退らしい。」との噂が流れるようになりました。しかし、運転頻度が減れば全国的な客車列車の減少もあって注目度は高くなり、運転日には沿線へ多くのファンが訪れるようになりました。
名所三河三谷をゆく団体さんの出発地、帰着地となる愛知県内では午前中か夜間の運転が多く、多くのポイントで順光になる午後の時間帯に下り列車が走ることは滅多にありませんでした。
旧新垂井の単線を6466が中央本線にEF65が入った一方では東海道本線内をEF64が担当することもしばしばありました。(東日本エリアまで直通した実績あり)かつての新垂井付近の単線区間をゆく姿は新鮮な感覚でした。
EF81トワイライト色TES色を期待して北陸線を訪れても来るのはピンクばかり。この日は「ユーロ」よりも琵琶湖一周ツアーのキハ58系11連がメインでした。両者が接近していたため、近江塩津での駅撮りが限界でした。秋の夕方、どんどん露出が落ちる中、こんな時に限って来るんですよね・・・。
青いゴハチEF58157多くの場合は専用機でしたが、EF58が使われたこともありました。RSECさん主催のこの列車は前日の回送列車からヘッドマークが取り付けられていました。白Hゴムは今ひとつ好きになれませんでしたが、黒ゴムに戻ってからのチャンスはこのとき限りでした。
紀勢本線の訓練運転年毎に運転回数が減り、遊んでいる日が多かったためか、DL運転士養成のための訓練運転にしばしば使用されました。専用塗装のDD51791は全般検査を受けてきれいになり、今後が期待されたのですが・・・。
そして最後の撮影今度こそ引退と知らされたのは04.12の大井川鐵道訪問時。系列の旅行会社のパンフに「引退が決まっているので当社最後のツアー」との記載があったのです。05.3.21、RSECさんの団体列車では会保有のマークが付きましたが、もはや深追いする気にならず、いつもの場所で迎えておしまいでした。
●毎年のように聞かれた引退説〜ついにXデーが
末期には度重なる盗難に業を煮やしたJR東海がヘッドマークの取り付けを中止。車体の汚れもあって、一層みすぼらしい姿となりました。病的な身勝手者の仕業で多くの皆さんの写真に「泣いているユーロ」が記録されたことは情けないの一語に尽きます。私自身、華やかな時代を知る者として、ヘッドマークをもぎ取られ、錆が浮いた姿にカメラを向ける意欲が失せていることを実感しました。結局さよなら運転などの公式行事は一切なし。最後の団臨も大学の鉄研主催にもかかわらずマークの取り付けがないなど、哀れな最期を迎えました。
後半は気が重くなるようなことを書き並べましたが、歴代ジョイフルトレインの中でもトップクラスの出来栄えや、さまざまな組み合わせを追って各地へ足を運んだこと、そして、「シュプールユーロ」を利用した楽しい思い出など、「ユーロライナー」を忘れることはないでしょう。
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