2周年記念企画:出世した車両たち(7)

■第7回:JR四国オロ50系「アイランドエクスプレス四国」   02.12.17UP

通勤通学用客車がジョイフルトレインに変身

●通勤通学用客車がジョイフルトレインに変身

JR四国発足の日、1987.4.1から正式運行を開始した四国初の本格的ジョイフルトレインです。「アイランドエクスプレス四国」の名は一般公募によって決まりました。デビューが民営化の日ということは、製作は国鉄四国総局の手で進められていたことになります。
 グリーン車への格上げを出世と認定すれば、客車ジョイフルトレインの大半が該当してしまいますが、普通列車用客車からグリーン車へ格上げされ、冷房改造のほか、こじつけがましいですが、団体ながらも急行列車(*1)での使用実績あることから、客車改造のジョイフルトレインの中でも出世度が高いとして認定しました。(*2)
 改造に当たっては、冷房用発電セットの搭載、固定窓化のほか、1年後に控えた瀬戸大橋開通時には、本州での運転に備えて、制輪子の材質変更など、110km/h対応準備工事が施されました。(*3)
 50系客車は経年が浅いにもかかわらず、短編成化、高頻度化による気動車、電車への置き換えによって1990年代に入ると急速に淘汰が進みました。四国では「アイランド」が登場した翌年である1988年から廃車が始まるなどその進行が早く、種車になった車は改造によって命拾いしたともいうことができます。
 しかし、1999年5月31日のさよなら運転を最後に引退しており、決して長寿とは言えませんでした。引退理由には老朽化が挙げられていますが、20年に満たない車齢、1995.12に客室整備工事が施されており、老朽化は考えにくいところです。引退後、座席が185系「アイランドエクスプレスU」に転用されていることから、余剰気味であった185系の活用による運転速度向上、輸送単位の縮小への対応のほか、稼働効率が悪いDE10専用機の淘汰、少数形式の淘汰などの合理化をねらったものと考えられます。 
 参考文献:鉄道ファン315号(1987.7)

出張時に何度となくここを通り、いつかカメラを構えようと思っていました。
DE101148(高)+アイランドエクスプレス5連+DE101095(高) 9322列車
1994.9.3 予讃線 壬生川-玉之江

(*1)急行列車の事例

1988年4月7〜17日に運転された日本1周ツアー「JR1周年記念号」は各社のジョイフルトレインが使用されました。その中で、4月13日、琴平→広島間では「アイランドエクスプレス」が定員の関係で間に色を合わせた12系の3列座席改造車1両を併結して使用されました。列車番号は「臨急客9202」(琴平ー岡山)〜「臨急客9301」(岡山ー広島)と、ダイヤ上は急行列車でした。

参考文献:鉄道ファン327号(1988.7)

(*2)認定理由の補足

先頃、2002.11.30限りで最後の定期普通客車列車から退役した津軽海峡線の50系5000番台は、冷房化、シートのグレードアップ、最高速度の向上が図られ、出世車両には違いなかろうと思います。しかし、同グループは限られた用途であること、および、両数が多いため、「40人近くが昇進」と言われても格が上がった感じがしないものです。従って、50系改造車の代表としても「アイランド」を認定車両としました。

(*3)110km/h対応化工事

瀬戸大橋開通後も本州への直通運転は思いの外多くありませんでした。鉄道ファン誌で毎年特集されている「車両のうごき」にも本工事が実施されたとの記載はなく、準備工事にとどめられた可能性が高いと思われます。現段階では実際に110km/hに対応していたかは不明です。

製造、改造銘板

アイランドエクスプレスの履歴を示す銘板ここのところ、変化球がまたおもしろいですね。さて、アイランドエキスプレス四国の登場時期ですが、そうでしたか。民営化と同時なんですね。写真は、引退まじかのアイランドエキスプレス四国の銘板を写したものです。(02.12.19)
    写真、文: 小林大士様

 試乗会なのか、国鉄時代にも動いているようですが、JRが発足し、出発式が行われた日を正式デビューと考えました。
 富士重工の銘板共々今や貴重ですね。1981年の製造ということは数多い50系の中でも後期の車ということになります。(碧)

なんと、私は改造前のオロフ501に乗っていました。   03.1.9更新

車番オロフ501オロ501オロフ503オロ502オロフ502機関車次位がオロフ501の種車となったオハフ502376
改造前オハフ50
2376
オハ50
2249
オハフ50
2378
オハ50
2250
オハフ50
2377
製造日1981.6.22
製造所富士重工
配置区金 沢

 アイランドエクスプレスの種車は四国生え抜きのものではなく、1981.6、金沢鉄道管理局に新製配置されたものであることがわかりました。私は同年の夏、サークルの夏合宿で金沢を訪れていますので、当時のノートを見てびっくり!なんと、私が乗車した車はオロフ501の種車、オハフ502376だったのです。

七尾 < DE101027+ハフ502376+ハ502254+ハ502253+ハフ502380+ハ502252+ハ502251+ハフ502379 > 金沢

 この日は東洋活性白土のSLを撮影後、金沢に着いたときには集合時間に十分すぎる時間があったため、周遊券を利用して金沢-津幡を2往復しています。50系は記念すべき初乗車でした。
 写真は発車を待つ七尾線121列車で、機関車次位が製造から1ヶ月も経っていないオハフ502376です。7両中、後に「アイランド」に改造されたのは1両のみ。「ジョイフルトレイン」という言葉もなかった当時、その後の同車の運命など知る由もありませんでした。1981.7.15 金沢にて



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