1997年 京福電車いきいきフェスタ

2015.11.23 UP

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●事前調査不足で現地入り

1997年10月初め、山田線、釜石線でのお召し列車撮影旅行から帰ってまだ疲れが取れずにいた。10.17、18には社員旅行があり、10.10〜10.12の3連休のうち、1日は完全オフにしたいと思っていた。
 しかし、雑誌などでアナウンスされている情報によれば、今年は鉄道125周年を始めとしたイベントが盛んで、とても回りきれるものではない。しかし、行きたいところは可能な限り行こうと思い、結局欲張りなスケジュールを組むことになってしまった。中でも「京福電車いきいきフェスタ」というイベントの一環で運転されるEL牽引の電車については外せないと思った。

●イベント列車は発車間際!

10.10の朝、大阪7:12発の「サンダーバード」自由席の前には相当な長い行列ができていた。なんとか着席はできたが、通路まで立ち客が出ていた。連休の朝の列車にはよく見られる光景である。
 まだインターネットは普及していない時代。雑誌には返信用切手を同封して資料を請求せよと書かれていたが、手配を忘れてしまい、ダイヤも何も知らずに現地入りしたのであった。
説明は写真をクリック 福井には8:58に到着。京福乗り場へ行くと、既にイベント編成が入線していて、発車が9:23とわかって驚いた。間もなく出る電車に乗らないと先行できないのだ。窓口でフリー切符(1000円)を購入するとともに、イベント列車の資料もいただくことができた。
 撮影地も何もわからないが、追分口の手前で数名がカメラを構えていたため、とっさの判断で下車し、仲間に入れていただいた。資料で電車でも途中駅で追い抜きが可能なことがわかったためであった。しばらくすると、テキ522を先頭にしたイベント列車がやってきた。今日は文句なしの快晴で、光線の状態も良好であった。
説明は写真をクリック同好の方たちと後続列車に乗り込む。永平寺線は廃線になるかも知れないので、線内で撮っておきたいと言われる方がいて、私もその案に乗ることにした。東古市で永平寺線の電車に乗り換え。市野々の付近に順光側にポールがない区間を見つけ、そこで下車した。
 ここで久しぶりにお会いしたのは学生時代からのお知り合い、Tさんであった。転勤で名古屋へ行かれたと思ったら、今は金沢にいらっしゃるとのことであった。何年もお見かけしないうちにすっかり白髪が増えて、最初はわからなかった。(この当時からすれば、今は私自身がそうなっているのであるが。)
 永平寺線に多くのファンが集まるのは珍しいこと。沿線住民の方々も何事かと思われたのか、線路際へ出て来られていた。
 やがて、イベント列車が見えてきた。前後の機関車が汽笛を交わしながら進んでくる様がイベント列車らしい。前のテキ522の汽笛は船のような音色なのが興味を魅かれる。
 撮影後はいったん下り電車で永平寺まで行くことにする。市野々からは勾配がきつく、モーターがずっと唸っていた。終点永平寺駅でゆっくりする余裕はなく、乗ってきた電車でそのまま折り返した。
説明は写真をクリック 東古市へ戻り、越前本線の下りに乗り換えた。轟(どめき)で下車。駅からは少し離れてしまうが、障害物がないところまで歩いた。
 まずは今日限り日中ダイヤで運行されているモハ3001形を撮影。

説明は写真をクリック永平寺から東古市へ戻ったイベント列車は福井寄りの521号を勝山側へ付け替え、重連になっていた。後続の電車まで時間がないことはわかっているため、駅まで急いで戻った。時々時計を見ながら早歩き、小走りを繰り返す。もうすぐというところで電車が見えた。途中急いでもぎりぎりであった。

●Uさんと再会

車内でどこかでお会いしたような方を見かけて声をかけてみた。南海高野線の21001系臨時特急の撮影でお会いしたUさんであった。3年ほど前にお会いしたきりであったが、「鈴木さんですね。」と、私の名前も覚えていて下さった。Uさんは私鉄がお好きで、各地の私鉄を訪問されていた。京福では、イベント列車のほか、旧南海の11001系である3001形が日中動くのを楽しみにされていたとのこと。同形は日頃はラッシュ時間帯のみの運行であったが、今日はイベントに合わせて日中も運行されていた。
 何もない日に偶然会う機会はなかなかないが、このようなイベントは人を集める力があり、久しぶりの方に会うことがしばしばある。とてもありがたいことである。
 「下調べを何もせずに来てしまいましてね。」「比島のあたりに撮れるところがありますよ。」「では、ご一緒させてください。」

説明は写真をクリック駅から少し戻ったところがカーブになっていた。今日は直線でばかり撮っているが、カーブで変化が出せそうだ。ケーブル類が少しうるさいが、木製や細い鉄製支柱はいかにもローカル私鉄の味が出ていて好ましい。手前にある低木がかかってしまうが、しかたないところ。民家の前になるが、幸い好意的に撮らせていただだけた。
 撮影後は駅へ急ぐ。比島は通過する列車があるが、次の電車は停車する。勝山でもイベント編成を撮影できるだろうか。
 もし朝一番のサンダーバードに乗っていなければ間に合わなかったわけで、胸を撫で下ろすとともに、何も調べずに来たにもかかわらず、イベント列車の走行を4回。しかも満足のいく条件で撮れたのは、幸運に恵まれていた。

テキ6のデモ走行

説明は写真をクリック終点勝山ではイベント編成がそのまま留置されていた。構内に停められた旧阪神の2104号の車内では写真展が行われていた。今日は旧南海の3000形が運行されているため、日頃走っている旧阪神車をあまり撮ることができないでいた。
 朝から慌ただしく、まだ何も食べていなかったが、駅前でやっと食料を手に入れることができた。しかし、15:00からは東古市でテキ6号のデモ運転があるため、ゆっくり食べてはいられない。そして、デモ運転に間に合うように東古市へ移動した。
説明は写真をクリック せっかく走らせるのであるから、写真だけ撮ったのでは停まっているのと変わらない。ビデオを重点的に撮ることにする。1両ではなく、無蓋貨車「ト68」が連結されているところにも注目したい。この貨車は珍しい松葉形スポークの車輪を履いている。その形状から名づけられたもののようだが、「V字」と言わずに「松葉」と呼んだことが粋である。
 構内踏切の鐘の音と、いかにも古めかしい汽笛がとてもマッチしている。このシーンを撮れただけでも動画重視にして正解だったようだ。
 テキ6の集電装置はY字形ビューゲルと呼ばれるものだ。ポールが常に後ろ向きに傾斜するように上げられ、前後2基の後ろ側を上げるようになっている。前側を上げると、貧弱な造りの架線を突き上げてしまう恐れがあるのは何となく想像できる。しかし、前進、後退を繰り返すたびに前を下げて後ろを上げる操作をしなくてはならないため、たいへん使いづらそうだ。しかし、当車は入換用として残されてきた。つまり、ビューゲルを頻繁に上げ下げしなくてはならない使い方で使われてきたことが不思議ではある。
 この車は運転取り扱いが特殊で、今日の運転士、Hさんほか数名しか運転ができないのだそうだ。本来は営業路線上を走らせることができないテキ6をどのように持ってきたかなど、休憩時間中にいろいろ興味深いお話を伺った(・・・のだが、メモに残さなかったことが災いして詳細が思い出せないのは残念である。)
説明は写真をクリックデモ走行が終わると、だいぶ太陽が西に傾いてきた。多くの方々はこれで終了であろうが、私とUさんはそうはいかない。旧南海11001系初期の貫通型を京福で非貫通に改造した3007-3008の編成がまだしっかり撮れていなかったためである。2枚窓になったため、オリジナルの顔が大幅に変わってしまってはいるが、お互い南海沿線住民。この当時引退したばかりの南海21001系に似た11001系後期型ではなく、前期型にこだわりたかったのである。
 「4時頃の福井行きに入りそうですね。」「下志比寄りでお手軽に撮れそうなので、行ってみましょうか。」
 二人並んで列車を待つと、期待どおり3007号がやってきた。
 Uさんは福井で宿泊し、翌日も残られるとのこと。東古市でお別れした。私は刈谷の実家に泊めてもらうことにした。
 しかしながら、今日のイベントはたいへん濃い内容であった。電車移動でも効率よく複数回の撮影が可能で、終点勝山へ行ってもテキ6のデモ走行に間に合うなど、よく考えられたスケジュールが組まれていた。また、職員の皆さんもたいへん親切で、1日ローカル私鉄の魅力に浸ることができた。

 最後になりますが、当日撮影した動画の一部をご覧いただきましょう。

●あとがき

説明は写真をクリック多くの方がご存知のように、京福電鉄福井鉄道部は2回の正面衝突事故による運行停止がきっかけとなり、事業継続断念に追い込まれてしまいました。その後、同社を引き継ぐ形で新会社「えちぜん鉄道」が設立されましたが、大幅な車両の更新やアテンダントの乗務など、積極的、先進的な取り組みが行われています。
 結果的に鉄道の再生が図られたとはいえ、それが運行停止のおかげであるとは到底思うことはできません。ある日突然通勤通学の足を奪われ、それが長期化したり、事業の廃止によって生活にも多大な影響が出た職員やご家族の皆さんのことを考えると、やはり不幸なできごとでした。
 永平寺線に至っては、再開されることもなく、そのまま廃止されたほか、多くの車両たちが2回目の事故当日が最終運行日になってしまいました。
 それでも、今回ご紹介した2両の電気機関車が新会社でも除雪用として活躍し、近年では桜とのコラボイベントにも駆り出されて集客に一役買っています。また、テキ6も動くことが可能な状態で保存されていることは喜ばしいことです。
 えちぜん鉄道が地域の足としてはもちろん、ローカル私鉄活性化の先導役を果たしてほしいと願っています。それとともに、京福の記憶ともいえる車両がいつまでも活躍することを望むところです。

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