■上信電鉄

2001.3.4 UP(2020.2.7 古い記述と画像の表示を改訂)

高崎から西へ下仁田に至る私鉄線です。当鉄道では1994年9月まで貨物輸送が細々と行われていました。 1924年(大正13年)ドイツ、ジーメンス社製の古典電気機関車2両が現役ではありますが、稼働状態に整備する目途が立っていないようです。このような古い機関車が長年にわたって使用されている一方では、中小私鉄としては意欲的なオリジナルの新型電車も走っています。
 当社を訪れたのは何かのついでに立ち寄った以外は全てデキ牽引の客車列車が主な目的でした。今回は1984年から10年ほどの間に撮影した作品をご紹介しましょう。

●還暦の舶来小型電機がフル編成の「くつろぎ」を牽く!

秩父鉄道に12系お座敷客車「くつろぎ」の入線が実現した直後、今度は上信電鉄に入線するという情報が入り、衝撃を受けました。当時、ちょうど還暦を迎えるジーメンスが国鉄のお座敷列車を牽引するとは想像すらしなかったことでした。もちろん撮影に行きたかったのですが、貧乏学生だった私が車を持っているはずはなく、単独では無理だろうとあきらめていました。たまたまサークルの集まりがあって、同期のM君に話すと私鉄の機関車大好きの彼は大乗り気で、彼の友人のIさんが車を出してくださることになりました。
 当線では長編成の列車の入線は考慮されていないため、お座敷列車6両が交換できるだけの十分な行違い線長さがありません。そこで、始発電車の前に走るダイヤが組まれました。始発駅となった上州富岡を5:00に出るというダイヤでしたが、この時期の5時代といえばやっと薄明るくなってくる時間です。それでも私たちは4倍増感用のネオパン400をカメラに詰めて深夜の関越道を高崎へと向かいました。このときは運転されることがどうしても信じられないまま上州富岡駅に着きました。未明に明かりが灯り、慌ただしく積み込み食料の準備に追われる関係者の方々を目にして、一応「ああ、やっぱりあるんだ。」と思ったのですが・・・。

(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。

「くつろぎ」フル編成
濃霧の悪条件の中、本当に現れたデキ重連+「くつろぎ」フル編成。

やはり本当に来るまでは信じられませんでした。あいにく濃い霧が立ちこめる悪コンディションとなりましたが、独特の甲高い汽笛と共にゆっくりと姿を現し、背中がぞくぞくしました。あまりの暗さに果たして写るのだろうかと心配しましたが、駅の手前でさらにスピードが下がり、ISO200のネガカラーでもF2,1/125が切れ、なんとか写し止めることができました。
 6両フル編成での運転はこの1回のみと思われ、たいへん貴重な記録となりました。

テレビのような顔の新型電車
当時、ローカル私鉄ではまだ珍しかった近代的な新車、クモハ6000。

無事にお座敷列車の撮影ができたのはほんとうにお陰様でした。夜通し走ってきたため疲れが出て下りの貨物列車まで馬庭-吉井の鉄橋でのんびり過ごし、その間電車にもカメラを向けました。
 この当時テレビのような顔の新型電車が各地に登場しましたが、地方の中小私鉄ではまだまだ珍しい存在でした。

貫通型両運車
単行運転での使用を目的とした貫通型両運車250形

6000形と同時期に製造された単行用のモハ250です。それにしても6000と250とはいったいどんな形式の付け方をしたのでしょう。1000から一気に6000まで飛んだ6000形は新系列、250形は在来の200系の延長線上にあると考えられたのでしょうか。6000形には冷房が搭載されていますが、こちらは見送られました。

在来車の代表ともいえる200系
1964年に登場したオリジナルの200系

200系は1964年の登場です。写真の一次型、301+201は東洋電機製、二次型は西武鉄道所沢工場製で、趣が異なっています。
 本記事を記したころ住んでいた関西ではJR103系の戸袋窓が埋められて閉鎖的なイメージになってしまったので、こうして窓がずらりと並んだ電車はいいものだと思います。

南高崎までの区間貨物
南高崎までの区間貨物はデキ1の担当で、期待のED316は見られず。

当時の貨物列車は下仁田までの一往復の他に南高崎までのわずか1駅の数往復が設定されていました。雑誌でこの運用にはED316が使われていると見たことがあったため期待していたのですが、やってきたのはデキ1で、正直言えば(そのときは)がっかりしました。
 ちなみにED316は元伊那電気鉄道(現JR飯田線)から国鉄に買収された機関車で、上信に来た6号機は車体が箱形に改造されて近江鉄道に行った1〜5号機とは同形式とは思えないほど異なる風貌となり、サイドの明かり窓にだけその面影が残っています。

上り貨物84列車
吾妻線のEF15を撮影した後、辛うじて間に合った上り貨物84列車。

南高崎までの貨物列車撮影後は同行した2氏の希望で吾妻線のEF15を撮りに行くことになりました。下り貨物71列車が単機であったため、本音のところは84列車をじっくり狙いたかったので内心やきもきしていました。
 佐野(信)-根小屋の鉄橋に戻ってきたのは高崎の到着時間から考えればきわどい時間でしたが、辛うじてセーフでした。良好な光線状態の下、上信らしい編成の貨物列車が撮影でき、とても満足でした。この日はデキの3両全てが動きました。

●秋の恒例となったJR高崎支社のお座敷客車入線

初回はフル編成、6連で入線したお座敷列車でしたが、途中駅で交換ができないのでは制約が大きいと判断されたためか、その後は上信線内では高崎寄りの2両を減車した4両で運転されるようになりました。使用されたのは高崎運転所の2本のお座敷客車「くつろぎ」、「やすらぎ」で、JR発足後も継続され、10月末から11月初旬頃の恒例となりました。

短縮編成の「やすらぎ」
大勢のファンに出迎えられるデキ重連牽引の「やすらぎ」

お座敷列車は高崎の到着時刻が早く、当時住んでいた浦和市からは初電でも無理でした。この日はJR東海に唯一残っている青色塗装のEF58157がはるばる上越線に乗り入れてくる日で、サークルの後輩、I君に「ゴハチの前に上信いかない?」と頼んだところ、快く了解してくれました。彼の寮で仮眠をとって4時頃出発しました。
途中うっすらと霧が出かかっているところがあり、またしてもと思いましたが、幸い快晴となりました。

西武鉄道から来た中古車
国鉄キハ58系のような塗装の100系。

翌週にも運転があり、またもI君と来てしまいました。
 オリジナルの新性能車を意欲的に導入した上信電鉄でしたが、やはり財政事情が許さなくなったのか、西武鉄道から旧性能(吊掛式駆動)の中古車も入線しました。国鉄のキハ58系のような塗色の100系は元西武451系ですが、事故で廃車になった編成の補充のために追加された編成はクハ1651型+クモハ451型の異系列でした。
 お座敷列車が来る前に下っていったこの電車は途中駅で問題なく交換ができたことを物語っています。

やっと全体に陽が回った
ゆっくりと鉄橋を渡るデキ重連牽引「やすらぎ」

展望車を有効に生かすためにはしかたありませんが、機関車の次にいかにも中間車然とした車両が続くのは美観上ちょっぴり残念でした。しかし、こうしてみると実に堂々とした列車です。高崎到着後、減車した2両の連結、転線が行われ、JRの機関車に付け替えられて目的地へと向かいました。

●旧形客車入線

1995年4月、サークルの後輩Y君が上信の旧形客車とEF55の奥利根号を撮りに来ないかと誘ってくれました。この年の1月に発生した阪神大震災関連の対応のため、しばらくは多忙だったり体調を崩したりで余裕がありませんでしたが、なんとか持ち直した頃で、久しぶりに遠出をしてみることにしました。ただ、被災地ではまだまだ大勢の方が不自由な生活をされていると思うと、いささか後ろめたい気持ちにもなりました。
 この列車は鉄道趣味団体RSECさんが企画したものです。上信電鉄の機関車がJRの客車を牽いたもので、両社との交渉による実現は関係者の尽力も並大抵のものではなかったのではないかと思われ、終点下仁田まで乗り入れたのも特筆に価しました。さすがは同好の方々が企画された列車で、撮影しやすいように組まれたダイヤや、飾り付けのない自然な姿に撮影を存分に楽しませていただきました。

こぢんまりとした編成が好ましい
やはり古典電機には旧形客車がよく似合う。デキ1+3+オハフ33+スハフ32

自然な姿とするためにヘッドマークの取り付けが一部区間に限られたのは嬉しい配慮でした。
 機関車次位のオハフ33は小海線のパノラマ列車に使われていたことが幸いして高崎運転所の動態保存車両に加わり、その後さらにJR北海道に移籍して「SLニセコ」に使われるという強運の持ち主です。しかし、近年は保留車となっているようです。

元西武801系のクモハ150形
元西武801系のクモハ153+クモハ154

西武鉄道801系モハ800を先頭車に改造したクモハ153+154です。ナンバーは控えてありませんでしたが、クモハ153と判断したポイントは、鉄道ファン432号にクモハ150型3本全ての写真が掲載されており、2枚窓で乗務員室扉の直後にある雨樋縦管が露出していない点です。(151+152は旧401系の3枚窓、155+156は雨樋が露出。)200系に採用されたサーモンピンクの1色塗りで、紫色の帯も省略された質素すぎる塗装は上信らしくないような気もします。

上信きっての名ポイントで
有名撮影ポイント下仁田付近で主催者会員の皆さんと三脚を並べて

下り列車最後のショットは上信きっての名ポイントで主催団体会員の皆さんと三脚を並べさせていただきました。その後このような列車は実現していませんが、JR東日本では旧形客車の整理縮小の動きがある昨今(就筆時)、上信電鉄で2〜3両を預かって自社の企画列車に使えないものかとひそかに期待したものです。

貸切列車の復路
帰りは機関車の次位にスハフ32が付いてより魅力的な列車に

曇りで光線を気にする必要がないため、ポールがない側にしようかと思いましたが、バックに山が入るこちらにしました。
 復路(上り)は小窓がずらり並ぶスハフ32が機関車の次位に付きました。私が学生だった1984年の段階、国鉄ではすでに残り4両となっていて、よくぞ残してくれたという貴重なものです。客車は2両とも内装がニス塗りの車両が充てられ、こんなリクエストに応えて下さったJRさんにも感謝です。
 上り列車はこの1回だけして高崎線の奥利根号(EF551+EF5889)を撮りに行くことにしました。

塗装変更された6000形
塗装変更された6000形

テレビ顔の電車、クモハ6000形は1984年に訪れた当時の250形と同様の塗装に塗り替えられていました。その250形の方は斬新な塗装を捨ててサーモンピンク1色になったようですが、この現象は1976年頃、国鉄の一般型気動車がタラコ色1色に塗り替えが始まったことを思い出します。鉄道経営への逆風の中、経費節減のためやむを得ないこととは思いますが、環境に優しい庶民の足として魅力ある鉄道に成長することを期待したいものです。
 ところで、正面に白い円盤が取り付けられていますがこれは一体何でしょうか。

デキ1の社紋と銘板
デキ1の車紋と銘板

デキ1の社紋と銘板です。一般的にデキはジーメンス社製で通っていますが同社は電機品を担当し、車体はマン社の製造です。上がジーメンス、下がマンですが、製造年である1924はマンの方に入っているのがおわかりただけるでしょうか。
 異国の地で2両が大切に維持されているデキはなんと幸せな機関車でしょうか。

過去数回訪問した上信電鉄の作品を一気にまとめてみました。こうして見ると上信電鉄には古典電機あり、個性的な電車ありとなかなか興味深い鉄道です。制作を進めているうちに再び同社を訪れてみたくなりました。

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参考文献:「鉄道ファン」381、382、432号

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