■たまにはバスもいいではないか。 -阪和貨物線ミニトリップ-

(注) 拡大画像はJava Scriptを使用しています。プログラムの起動のため、最初の表示は少し時間がかかることがあります。

●お蔵入りしていた作品ですが

私は1993年2月から2005年12月まで大阪市内の事業所に勤務していました。今年(=2015年)は郷里の愛知県刈谷市に戻って10年になります。実はこのページは大阪在住中に作り始めていましたが、未完成のまま公開には至らずでした。
 主題である阪和貨物線は既に廃止となっています。場所によっては堤防強化工事が行われ、既に面影もないと聞きます。保安用の回送列車以外の列車が走ることはたまにしかなかった同線を走る列車の記録は既に貴重なものとなっています。大阪を離れて10年となる機会に補筆修正し、公開することとしました。
 この当時、もう一眼レフの高画質デジカメが普及し始めていましたが、まだ私はフイルムカメラを使っていました。前半の6コマはDVビデオカメラの静止画機能を使用して撮ったものです。
(以下、2003年当時の記述を追記、修正したものです。)


●営業列車が走らない路線

大阪市南部に阪和線の杉本町と関西線の久宝寺を結ぶ線路がありました。通称阪和貨物線と呼ばれ、阪和線が貨物営業を実施していた頃は、竜華操車場(現久宝寺駅付近にあった貨物駅)と和歌山方面をショートカットするルートとして利用されていました。
 私が訪問した当時、既に貨物列車も竜華操車場も廃止されて久しく、旅客、貨物共定期の営業列車は設定されていませんでした。しかし、JR貨物が免許を得ていたほか(南海電鉄向け新車の甲種輸送の経路)、非常時の迂回ルートとして線路が維持されていました。
 日頃は踏切や信号などの設備を維持するために回送電車1往復が走っていましたが、年に数回ながら、お座敷列車「きのくに」や181系気動車による修学旅行列車のほか、和歌山からトワイライエクスプレスなどの団体臨時列車も運転されました。

 自宅があった大阪市住吉区内を走るにも関わらず、電車でのアクセスがたいへん不便なため、長らく訪れたことはありませんでしたが、市バスで近くまで行けることを知り、「たまにはバスもいいではないか。」と、利用してみることにしました。

●大阪市バス66系統

大阪市バス66系統(現在、66系統はなく、54A〜となっているようです。)は自宅にほど近い住吉車庫から阪和線の我孫子、地下鉄の我孫子を経由して地下鉄長居駅を結ぶかなりマイナーなルートです。
 平日は30〜40分に1本の運行ですが、病院が休みになる休日は1時間に1本しかありません。

●66系統に乗る

66系統長居行きが上住吉停留所に到着地下鉄長居行きのバスが上住吉停留所に到着しました。運賃100円の赤バス(=既に廃止になっています。)ではなく、通常の大型バスで運行されています。

66系統長居行きが上住吉停留所に到着66系統は大きなターミナルを全く通らないため、いつもご覧のような利用状況です。過半数は敬老パス利用のお年寄りで、現金で乗っている人をほとんど見かけたことがありません。しかし、自動車を運転できない交通弱者の方々にはなくてはならない交通機関であることが感じ取れます。

●大阪市内で「よさみ」を発見!

66系統長居行きが上住吉停留所に到着碧電には依佐美(よさみ)信号場がありますが、大阪市内で同じ「よさみ」を発見しました。
 大依羅神社(おおよさみじんじゃ)は由緒ある神社で、近くには昔、字違いの依網池(よさみいけ)があったそうです。
 碧海の依佐美(現愛知県刈谷市、安城市の一部)は万葉時代に依網ヶ原という地名で登場するとのことで、なんと、同じ字が使われています。依網とは寄網(漁)が語源との説がありますが、このあたりは機会をみて調べてみたいと思います。

阪和貨物線を横断公園南矢田4丁目停留所付近で阪和貨物線の踏切を横断します。敷地は複線分が確保されていますが、複線化されるようなことがあるでしょうか。
 ここを「トワイライトエクスプレス」が通ったと信じられますか。

支払いはスルッと関西カードで矢田行基大橋で下車します。2003.1現在、全線均一200円ですが、支払いにはスルッと関西カードが利用できます。

大和川付近で撮影した作品
所々に残る木製架線柱

近鉄南大阪線が大和川を渡る直前、阪和貨物線はその下をくぐります。まだところどころ古めかしい木製の架線柱が残っています。

通称レール磨き電車
117系のレール磨き列車

定期列車の運行がなくても、線路設備の保安を目的とした回送列車が毎日運転されていた。線路の錆びを防ぐ目的もあったことから、「線路磨き列車」と通称された。

日中、王寺で休んでいる和歌山線運用の117系を使用して、鳳まで一往復の回送電車が毎日運転されています。滅多に列車が走らないため、地元の人が線路に立ち入っていることがあり、運転士さんは神経を使うそうです。
 2001年12月下旬に緊急手術、1ヶ月間の入院となり、やっとこの頃から撮影を再開することができました。

吉野フォレスタ
近鉄南大阪線の「吉野フォレスタ」(その後一般塗装に戻されました。)

「吉野フォレスタ」  阪和貨物線だけを目的に出掛けると、待っても1往復しか列車は来ません。撮影ポイントの近くには近鉄南大阪線の大和川鉄橋があり、同線の列車も撮影出来ました。

お座敷列車「きのくに」
DD511191牽引お座敷列車「きのくに」

DD511191牽引お座敷列車「きのくに」
 阪和線の臨時列車は天王寺から大阪環状線を経由するものがほとんどで、奈良方面へ抜けるものも和歌山以南からの列車は和歌山線を通ることが多いため、当線を経由する臨時列車は年間でも数えるほどです。

動画トワイライトエクスプレス
トワイライトエクスプレス

和歌山からの「トワイライトエクスプレス」の団臨です。久宝寺からは関西線、奈良線を経由して京都へ向かいました。
2003.2.20撮影
 雑誌、「レイルマガジン」にトワイライトゾーンというコーナーがありました。阪和貨物線はその要素を持っています。そこを「トワイライトエクスプレス」が通過すると言ってもただ言葉が重なっただけです。しかし、下町的な雰囲気と豪華寝台特急のギャップにはぜひ見たいと思わせる魅力がありました。

エーデル鳥取編成の団臨
エーデル鳥取編成の団臨

2004.2.28、キハ65形700番台エーデル鳥取編成の団臨が乗り入れました。募集要項には当線を通過することが書かれていたようです。
 この年の6月末で阪和貨物線は休止となり、そのまま廃止されてしまいます。
 実はこの頃、持病が再び悪化して入院していました。消化器系の疾患のため、体調がよいときは外出の許可が取れました。時には1ヵ月以上絶食、点滴のみで過ごすなど、食事制限が厳しく、ストレス解消は健全な入院生活を送るために必要な要素でした。
 どのように行ったか覚えていませんが、病院は近鉄阿倍野橋駅に近く、電車で行ったと思われます。


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