この旅行から30年が経過しました。当時は国鉄分割民営化から2年半が経過して、各社独自の車両が登場していました。その一方では、国鉄時代のままの列車もまだまだ数多く走っていました。
バブル経済の後押しもあって新会社は活況を呈しており、第一次のジョイフルトレインは全盛期であったと思います。
そんなのネットで調べればよいではないかという事柄が出てきますが、まだネットはおろか、私の職場ではパソコン(NEC PC9801)が5人に1台の共有でした。携帯電話はカバンのように担いで持ち出すほどの大きさで、普及しているとは言えない時代でした。(2020.11.10)
東京へ戻ってから毎年1回は遠征をしている。北海道、四国へは2回ずつ行っているので今年こそは九州へ行こうと思っていた。しかし、盆、正月は列車が混雑し、夏休みではSLの煙が期待できないであろう。今年は天皇の即位の礼のため11月12日が祝日の3連休となる。しかし、三日間では行けるところが限られるため、思い切って11月9日と11月13日の午前中の休暇を上司に申し出た。首尾よく了承され、現地では転勤で福岡市内に勤めている大学時代のサークルのH君、熊本では最初の就職先の先輩、Nさんと会うことになった。
予約したJAS311便に搭乗すべく羽田モノレールの客となっていた。帰宅後一服したのが災いして空港への到着はぎりぎりになってしまった。空港駅では国賓の来日に備えて荷物検査が実施されている。
「これは何ですか。カメラですね。ほう、三脚も持って。写真撮りに行くんですか。」 (警察官)
「ええ、そうです。」(見ればわかるでしょ。時間ないってのに・・・。) (碧)
「気をつけて行って来てください。」(警察官)
「はい、ご苦労様でした。」(碧)
こういうときに焦るのは損というもの。極めて冷静に検問をパス。カウンター氏におそるおそる「311便まだいいですか。」と尋ね、なんとか無事に席に落ち着くことができた。
ビジネス便のせいか窓側しか空いていないというのはかえって好都合で、離陸時には夜景を堪能させてもらった。機内サービスのワインを注文してひとりで乾杯した。寂しくないと言えばうそになるが、たいそう美人の客室乗務員だったせいか、なぜか満たされた気分であった。
21:50福岡着。たまたま出張のため飛行機で戻ってきたというH君が待っていてくれた。
タクシーで彼の寮へ向かう。今夜はホテルがどこも満室で取れなかったのである。焼酎で近況を語り合い、床に着いたのは2時近かった。
7時前に目が覚めた。低気圧が来ていて一雨降ったようである。7:30、H君に礼を言って寮を出た。最寄りの香椎駅までかなりあるが、我が国初の電車と気動車の協調運転「有明11号・オランダ村特急」には間に合わせたい。ちょうど通りかかったタクシーが大荷物を持った私を見て止まってくれた。ここで利用しない手はない。
香椎駅では上りの普通電車がすぐあって赤間まで乗車。駅から1kmほど戻った付近は地図でめぼしを着けていたが、期待どおり撮れそうである。急いでカメラをセットすると「有明11号・オランダ村特急」までは7〜8分になっていた。香椎でタクシーが通りかからなかったらまずアウトだっただろうと胸をなで下ろした。
さっそうと通過してしまい、これが日本初の気動車、電車の定期協調運転なのだと味わう暇もなかった。次のターゲットは5レ「みずほ」で、その次はEF81重連の貨物1066レだ。ピンクとステンレスのペアでやってきたが、ステンレスが次位なのはやはり残念であった。
この頃から本降りになった。合間にやってくる485系「にちりん」のほか415系、811系などの電車を撮り、EF81牽引の9レ「あさかぜ」をこの地点での最後とした。
駅近くの洋食の店が開いていたのでここでブランチ(朝食と昼食の兼用)とした。日頃東京の物価に慣れている身にはコーヒー付きの定食が730円とはお値打ちだと思った。食事のあと、カメラのワインダーの元気がないのでバッテリーの予備を購入した。遠路九州までやってきて電池切れなど起こしてはたまらない。
415系の快速で博多へ。ここから途中のロケハンを兼ねて特急「かもめ」で鳥栖まで行くことにした。周遊券は特急の自由席に乗り放題なのがありがたい。一つ手前の田代駅付近でJR貨物の試験塗装機、ED7659を見かけた。今回の旅行では撮るチャンスはなかろうと思われたものだ。この塗装は本採用には至らなかったため、ラストチャンスとなりそうだ。田代に戻って乗務員に尋ねるとあと10分(14:12)で発車だという。駅外れの踏切で発車シーンを捕らえたが、その代わりにED76重連の貨物列車1353レは移動する時間がなくなってしまった。しかたなく同踏切付近で待ったが、奥の方の線路に入ってしまい、こちらは撮り逃してしまった。しかし、なくなることがわかっている試験塗装と天秤にかければ重連を捨ててでも59号機をきちんと撮った方が正解であった。
そのあと、原田ーけやき台で783系「ハイパーサルーン」や「赤いかもめ」を撮ろうと思ったが、この頃から雨が激しくなってきたため断念した。
周遊券を活用して篠栗線に乗車することにし、キハ58やキハ65で篠栗まで往復した。まだ時間が早いので屋台ラーメンを食べようと、地下鉄で天神まで行ってみたが、あまりに強い風雨のせいか屋台は閉まっていて、収穫なしに再び博多に戻った。結局駅前のラーメン店に入ったが、東京で食べるのと変わらない気がした。
「ハイパー有明49号」で熊本に向かう。「ハイパー」の名の由来といわれる高加速は思ったほどではなかったが、中間走はさすがに俊速であった。
今日は偶然のタクシーに助けられた以外は雨にたたられてもうひとつつきがなかったが、明日に期待して駅前のホテル「くれない」にチェックインした。
ホテルで朝食のあと駅レンタカーの手続きをした。お座敷列車9901列車を撮影するため上熊本方面へ向かったが、不案内な土地で都合のよい撮影地はそう簡単には見つからなかった。結局熊本駅近くの踏切でカメラを構えた。ED76がゆっくりやってきたが、326Mに危うくかぶられるところであった。
DE10の「ハイパー有明」(普通列車)を撮るため熊本ー南熊本(当時平成駅は未開業)の鉄橋へ。DLが車掌車改造の電源車を連結して783系や485系を牽引する。そして、帰りは機関車を付け替えることなくそのまま推進運転で戻ってくる珍しい運行形態である。今日は昨日に続いて特急電車塗装のDE101755が運用に就いている。地元のファンの方に「どこから来たと?」と尋ねられ、改めてここが九州であることを実感した。
次はハチロクを迎えるために三里木ー原水へ移動した。「鉄道ファン」に載っていた写真では盛大に煙を吐いていたが、柳の下にはどじょうはいなかった。
次はクライマックスといって過言ではない立野のスイッチバックへと向かった。駅の手前で列車に追いつき、撮影ポイントへ入る道路もすぐに見つかった。カメラを出している間にスイッチバックが始まった。汽笛も高らかに発車したハチロクがあえぎあえぎ坂を登り、割れんばかりのドラフトが鳴り響く。今日は冬型の気圧配置になって寒いが、SLの撮影には願ってもない好条件である。数コマ撮影して赤水から数kmのポイントへ先行することができた。このあと、阿蘇では1時間ほどの停車時間がある。その間にSLの終点宮地までロケハンすることにした。しかし、結果としては阿蘇駅から数百メートルのポイントがベストのようであった。
宮地から戻って車内で休んだ。この寒い日に屋根の下で休めるのはありがたい。そして12:50、8711列車は宮地に向けて発車した。あいにく陰ってしまったが、低温が幸いして見事な煙を上げながら通過していった。
よい成果が上がれば片づけも早く、阿蘇駅にあるJR直営のステーキ店に入って遅めの昼食とした。
返しの8712列車は下り坂が主体となるため煙はあまり期待できない。それでも車を走らせると赤水駅を発車して国道のオーバークロスまでが緩い上り勾配になっており、この付近に三脚を立てた。バックに外輪山が具合よく入るのも好都合だ。キハ58+65の急行やキハ31の後にやってきたハチロクはあまり勢いがないながらも白い蒸気を吐きながらやってきた。高温時ならば間違いなく「スカ」だったであろう。
夕日を浴びて肥後大津を発車する8712列車。国道が空いていて上りももう一度撮れました。
この画像の補正についてご紹介したのを機会に画像を差し替えました。あまりの違いに驚いていますが旧画像も残しておきますので、ご関心のある方は比較してみてください。
交通量の多い国道は心配したほど混んではおらず、立野でスイッチバックしている間に追い抜くことができた。もうだいぶ日が西に傾いてきたが、最後に肥後大津の発車を狙うことにした。先に到着したハチロクはキハ31×3の763Dの到着を待って発車。長くたなびく煙を見送って今日の撮り納めとした。
レンタカーを返車する前に今夜の宿、「熊本パークホテル」にチェックインしたのは予定より早めであった。持参した「鉄道ファン」の作例写真にたまたまこのホテルが写っていて、迷うことなくたどり着くことができたためであった。荷物をホテルに置いて熊本駅へ向かい、車を返却。折り返し773Dで水前寺に戻った。
あらかじめ連絡をしておいたNさんが仕事を終えてからホテルに出向いてくれた。東京のある会社でご一緒していたNさんはその後帰郷し、地元の会社に勤務していた。1300kmも西へ来て共通の話題があるということは不思議な感覚で、日が変わる頃まで話に花を咲かせた。話題のひとつとして九州には大学の同期がいる話をした。Nさんもその会社に知っている人がいると言ったが、話が進んでいくうちになんとそれが同一人物であることがわかった。広い九州で偶然とはいえできすぎた話であったが、世間の狭さを感じさせるひとときであった。
下り初列車の音で目が覚めた。昨夜はNさんにすっかりごちそうになってしまい、まだアルコールが抜けきっていないのだろうか。ベッドから抜けるのがつらかった。しかし、日程をこなすためには6:29の2704列車に乗らなくてはならない。この列車はDE101755が推進する485系であるが、日の出前の早朝に三脚を立てて撮影するだけの余裕がなかったのには少々後ろ髪を引かれた。熊本ではわずかな接続で下り「有明」に乗り換え。伊集院で普通電車に乗り換えて次の薩摩松元で下車した。今日は少し欲張ったスケジュールで、なるべく鹿児島にアプローチしておく必要があったが、この付近の撮影地情報を入手していなかったため、あまり引きの撮れないポイントでのセッティングを余儀なくされた。
31レ「なは」や「ハイパー有明」を撮影し、「鉄道ファン」にも「ダイヤ情報」にも掲載がなく、「とれいん」にだけ載っていた20系の修学旅行臨まで待つことにした。11:10、あるならばそろそろと思った頃、ほんとうにED76が見えてきた。後ろには期待どおり20系が続いている。遠方では情報を入手する術がないが、雑誌の運転情報はこんなとき大いに役立つのはありがたい。今回の旅行でも臨時列車のほとんどはこれら雑誌の情報を元にスケジュールを組んだのであった。
駅へ戻って電車でさらに南下。ついに西鹿児島に到達した。小学生の頃走っていた急行「桜島・高千穂」や特急「富士」、「はやぶさ」の終点についにやってきたのである。
鹿児島ではゆっくりする時間がなく、昼食をするにとどめて日豊本線に乗り込んだ。錦江湾の向こうにうっすらと噴煙を上げる桜島を望みながら次の撮影ポイント、国分を目指した。今日は好天に恵まれて車窓に見える錦江湾はひときわ美しく、時が流れるのもゆっくりしているような気がした。
出発前に自宅にあった鉄道ファンを読みあさり、めぼしそうな撮影ポイントをピックアップしておいたが、国分は特急「にちりん」が停車するため、移動にも好都合であった。
国分駅で臨時列車の通過時刻を確認して驚いた。「ジョイフルトレイン大分」9516Dまであと6分しかないのだ。鹿児島では30分くらい余裕があったはずであったが、臨時列車とはいえ、相手は一応急行スジ。停車駅が少ない分、乗ってきた電車にかなり迫ってきていたのであった。不本意ながら駅のはずれでお茶を濁し、それでも気を取り直して霧島神宮方向に歩を進めた。
今日のメインディッシュ、9518列車「サザンクロス」は475系快速「錦江」の続行でやって来る。桜島が噴煙を上げるのが見えて15:00、ED76のホイッスルが聞こえた。日が西に傾き始めて「サザンクロス」の赤がとても美しく、専用機ED7678牽引の純正編成が無事撮影できたのは大満足であった。
その後に来るのは3連の475系ばかりであったが、1本だけ「にちりん」も撮ることができた。17:00近くともなれば東京ならば日没後であるが、さすがは南九州だけあって、露出は十分であった。満足な成果を得ることができ、駅までの足取りが軽かった。
17:08発の「にちりん56号」に乗車。ほどなく日没となったが、早朝からのハードスケジュールに疲れが出て、都城付近までうとうとしてしまった。乗車したのはクハ481-37。なんとなく覚えのあるナンバーだと思ったら、一時期「ビデオカー」に改造された車であることに気づいた。既にビデオ機器は撤去されていたが、座席がシアター状に後部ほど高くなっていてその名残を感じることができた。
日豊本線はあまり線路の状態がよくないのか、スピードが遅い。その分たっぷり時間もかかって、22時前にやっと大分に着いた。熊本から鹿児島経由大分まで、途中2カ所での撮影をこなし、今夜の宿、「プラザホテル大分」にチェックインした。
今日も6:30の電車で出発。鶴崎から数百メートル戻ったところに障害物がなく、すっきり撮影できる鉄橋がある。この時期、特急「彗星」は日の出からそれほど間もなくの通過となり、太陽が南寄りから上がる分、側面にも陽が回っている。機材を準備していると、犬を連れた地元の方が挨拶をして下さった。こちらも挨拶を返したが、首都圏で住んでいると見知らぬ方が挨拶をして下さるようなことはまずない。
7:00頃、まだ完全にセッティングが終わっていないのにED76が見えてきてどきっとした。旅客会社機が牽く貨物列車であった。続いて7:12頃、大分で付属編成を切り離して身軽になった「彗星」がやってきた。
大分駅へ戻って朝食とし、レンタカーの手続きをした。改札で今日の臨時列車を教えていただくと、事前のチェックにはなかった広島の「フェスタ」が来ることがわかった。しかし、撮影ポイント、杵築の通過時間次第では大分に戻る時間が足りなくなるのではないかと少し不安になった。
杵築駅に着いて尋ねると「フェスタ」(9530D)は15:57の通過であり、判断が難しいものとなった。
まずはおまけの試9523列車を撮る。列車番号だけで何が来るかはわからなかったが、来たのはマヤ検であった。ED76が牽いて来ると思ったが、EF81であった。
次は下り「富士」を撮るため大神寄りの有名な鉄橋に移動した。16両の長編成のため、カメラをかなり左寄りに振った。
次は9524列車「ゆうゆうサロン岡山」である。鉄橋は上り列車に対してまだ陽が回っていないため、さらに大神寄りの田圃のところで撮ることにした。
午前中だけで盛りだくさんの成果を上げることができ、次は特急「ゆふいんの森」を目的に由布院方面へ移動する。9524列車の後、由布院への移動時間に若干の不安があり、安全を見込んで大分道に乗ることにした。11:30よりも少し早くインターを入ることができて、楽に間に合うだろうという気がしてきた。しかし、途中は快調に走ったものの、湯布院インターの出口付近でかなりの渋滞に巻き込まれてしまった。身動きがとれず、もう間に合わないかとあせったが、なんとか料金所を通過したのは6003Dが由布院を発車する10分前であった。
一難去ってまた一難。撮影ポイントまであと2〜3kmのところで今度は片側通行の信号にかかってしまった。この手の信号はたいていじれったくなるほどに長い。予想は悪い方に当たって、煙が出そうになるくらいイライラしてやっと青が出た。由布岳をバックにしたポイントに着いたのはほぼ12時ジャストであった。とにかくカメラ1台だけでも撮ろうと、あわててカメラを出していると、由布院に向けて築堤を下る71系DCが遠望できた。なんとまだ由布院には到着していなかったのである。
由布院ではさらに遅れて、結局15分くらいの遅れでやっと目の前に現れた。(ダイヤ上車両の性能に余裕がないことや、乗車率が高くて乗降に時間がかかるためによく遅れることを後日聞いた。)4両全車がハイデッカーで、いかにも重そうに見えるが、軽薄な車両ばかりが多い昨今、渋めのデザインはお気に入りであった。きわどい思いをしてこのまま引き返すのが惜しくなって、次の急行「湯布4号」まで撮っていくことにした。駅近くの弁当屋で昼食を購入して撮影ポイントへ戻った。「ゆふいんの森」の遅れの影響か、急行も遅れていた。
次の3841Dを撮っていよいよ今回最後の撮影ポイントとなる大神ー杵築の鉄橋へ戻ることとする。帰りは一般道を通ったが、行きの渋滞が響いてか、所要時間は数分しか違わなかった。
最初は回9530列車。大分で聞いた列車にはなかったので別府折り返しのようだ。14:48頃、20系特有の「シャー」という走行音が聞こえてきた。これも「とれいん」誌に載っていた「ホリデーパル」であった。西日本会社からの乗り入れが3本もあって実に効率がよいではないか。
その後やってくる特急「にちりん」などを撮って、最後の「フェスタ」も思い切ってここで撮っていくことに決めた。関東在住ではなかなか捕らえられない車両だからである。美しい西日の中、ほぼ定刻に「オバQ」がやってきた。無事にラストショットを終えて、とにかく片づけを急いだ。16:00、大分へ向けて出発。別府までは順調であったが、駅を過ぎたあたりから渋滞気味になってきた。あと30分で大分には着けそうにない。しかたなく別府で乗り捨てることにして引き返した。渋滞の始まりがさらに大分寄りであったらこのような判断はできなかったであろう。だから、早めに渋滞が始まってくれて助かったのかも知れない。
乗り捨て手数料2060円(当時消費税は3%)がかかったが、もし「富士」に乗り遅れれば「にちりん」〜新幹線〜普通を乗り継いで追いつけるのは防府になってしまうことを思えば間違ってはいないと思った。
いそいそとおみやげを買って17:14、「富士」に乗り込んだ。10号車17番下段(オハネ25185)が今夜の宿となる。寝台は常設のためゆったりと横になることができる。これならばいつまでも乗っていられそうだ。
大神で「にちりん」と交換する頃にはさすがにとっぷりと暮れていた。快調に進んで19:15、門司を発車して九州に別れを告げた。
関門トンネルを抜けて、下関で牽引機がEF81414からEF6640に交代。20時頃には食堂車に足を運んだ。食堂車に入ったのは高校の東北方面への修学旅行の時以来である。高い割においしくないという評判なのか、たいていの客が弁当で済ませてしまう。そのせいか食堂車には明らかに活気がなく、ウエイトレスにも笑顔がない。ハンバーグライス1180円也を注文したが、9日に赤間で食べたものより内容が下でも高いのはいたしかたないところか。
オシ24101は14系から編入された車だななどと考えながら帰りがけにロビーカー、オハ25705にも立ち寄ってみた。しかし、インテリアが殺風景で今ひとつ落ち着かないため席に戻ることにした。
広島を過ぎて23時近くになったが、既に別府を発って6時間も経過しているようには思えない。明日は午後から出社のためそろそろ寝ることにしたが、寝なければと思うとなかなか眠れないのは毎度のことであった。
途中駅で停車しても起きあがってどこかと見ることはしなかった。しかし、時間もわからないとなると不安になり、一度だけ起き上がってみた。駅名は見えなかったが、4:20頃であった。おそらく米原だったのであろう。名古屋の発着は気づかなかったのでいくらかは眠れたようだ。
6:15頃、浜松到着の案内放送が入った。富士に着く前に食堂車に入り、朝食とした。左手にこの列車の名でもある富士山がくっきり見え、今日も快晴である。
残り少ないブルートレインの旅をゆったり過ごそうと自席に戻って横になった。熱海では外国人の女性2人が乗ってきたが、乗ってよい列車か迷っている様子はまったくなかった。
横浜を出てスカイブルーの京浜東北線が併走するようになった。「大宮」の文字を見るととうとう戻ってきてしまったという感覚になる。
定刻に東京に着いたが、まだ降りるのが惜しい気がした。
9日は荒天となり、撮影を断念せざるを得ない列車が出たが、翌日からは予定以上の効率で撮影を堪能することができた。大きなトラブルもなく無事スケジュールを消化できたのは幸いであった。今回の旅行では10万円以上の費用をつぎ込み、飛行機や小学生の頃から憧れていた九州ブルートレインも初めて利用するかつてない贅沢な撮影行となった。学生時代からの貧乏性は未だに抜けてはいないが、現地で二人と再会できたのは飛行機を利用したからこそで、鈍行乗り継ぎなど考えていたのでは果たし得なかった。
社会人6年生となり、収入にも余裕ができたこともあって、思い切って足を伸ばしてみた。今回の九州旅行を終えてとても充実した気分に浸っている。さて、次はどこへ行こうか。早くも次の撮影行の算段をする今日この頃である。 (1990.11記)