■リバイバル「月光」「しおじ」+山陽特急小集  01.8.25 更新(2022.6.28 表示を改訂)

作品提供:Nishiguchi様、西野伊吹様、Kazuyuki様

山陽本線開通100周年を記念して特急「月光」、「しおじ」がリバイバル運転されました。子供の頃からひいきの車輌である581系は「月光型」と呼ばれ、その名の由来となった列車名には大いにそそられるものを感じました。(01.7.31)

取引先にお勤めのNishiguchiさんが撮り鉄であることを知ってびっくり。「国鉄」モノにはちょいとうるさいNishiguchiさんから「月光」「しおじ」を各2回ずつ撮影された力作をお寄せいただきました。(01.8.7)

掲示板で交流のある西野伊吹さんから181系「しおじ」の画像が届きました。この機会に私が乗車した181系「はと」、小中学校時代の同級生、Kazuyukiさん撮影の481系「つばめ」を加えました。(01.8.22)



リバイバル月光(1)
夜明けの雰囲気がよく出た早朝の広島駅に停車中の「月光」

583系「月光」「しおじ」には小学校の頃から思い入れがあったので今回は本当にうれしい企画でした。ISO800のネガで夜明けの良い雰囲気が出せました。30分も停車していたのでじっくり撮影が可能でした。
2001.7.29 山陽本線 広島駅にて

写真、文:Nishiguchi様

リバイバル月光(2)
今回の運転では最大の人出となった小野田-厚狭間をゆく「リバイバル月光」

現場には100名以上はいたでしょう。三脚の雛壇がすごかった!あまりの人出にうまくS字に入れる事が出来ませんでした。このポイントはタクシー使った方が良かったと、後悔しました。遠い!(荷物が重かったので余計に)
2001.7.29 山陽本線 小野田-厚狭

写真、文:Nishiguchi様

リバイバル月光(3)
本州を縦断するロングランとなった青森の583系によるリバイバル特急「月光」。終点下関までもう一息。

長府駅から2キロのこの地点に集まったのは5名。これ1本のために半日かけて来たかと思うと、時間が近づくにつれて緊張と興奮を味わいました。無事に撮影終了後は「お疲れ様。」と声を掛け合うなど、和やかな雰囲気で撮影を楽しむことができました。
 別の団体臨時列車を絡めて本州を縦断するロングランとなった青森の583系。

しおじ(1)
小月駅下り側先端では編成全体がきれいにカーブに収まった。

上りホームの長府側先端より200mmでカーブに編成を入れる事が出来ました。

写真、文:Nishiguchi様

バックに写っているパワーショベルで私も小月駅とわかりました。この先の踏切では下り「月光」を大勢の方が撮影されていました。(碧)

しおじ(2)
吉井川を渡る「しおじ」

小月駅で撮影後、新幹線で「ワープ」して吉井川に架かる鉄橋を後追い撮影しました。この現場でも10人前後が撮影していました。去年ボロボロの「はくつる81号」を見たとき、もう終わりかなぁと、悲しくなりましたが、「思い出のはつかり」、「月光」、「しおじ」と美しい姿で走ってくれたので、感無量でした。

写真、文:Nishiguchi様

憧れだった「金星」に乗車
初めて乗った憧れの581系寝台特急「金星」

私が9才だった1972年8月、山口、広島、岡山への旅行で名古屋から581系寝台特急「金星」に乗車しました。その思い出にかき立てられて、原色の583系が「月光」のヘッドサインも誇らしげに山陽路を快走する姿に触れたくなりました。
 古いアルバムには母が撮影した「金星」の写真が貼ってあります。ネガが見つかったため、そちらから取り込んだ画像に更新しました。(2022.8.26)

181系元祖「しおじ」
1972年、大阪駅で撮影された181系「しおじ2号」。

大阪駅で撮影した「しおじ」(12:32広島発新大阪行しおじ2号[*])です。写真を始めたごく初期のもので、逆光で、ブレがありますが、「ヒゲ」の描かれてないボンネットも「しおじ」の文字も明白です。あくまで、「参考」「ご愛敬」ということで、「元祖・しおじ」としてご覧いただければと思います。
1972. 8. 3 大阪駅にて

写真、文:西野伊吹様

影になっていてわかりにくいですが、窓配置から判断するとクロハ181(元パーラーカー)でしょうか。すでに新幹線は岡山まで開通していますが、新大阪まで来る特急電車があったのですね。(碧)

181系特急「はと」
宮島口駅に進入する181系特急「はと2号」

「金星」で出発した旅行では宮島口から倉敷まで特急「はと」にも乗りました。幼少の頃絵本で見て、自宅近くも通っていた「こだま形」に乗れるとは夢のようでした。
 一つ災難だったのは、手違いで全車指定なのに自由席特急券が発行されてしまったことです。多くの区間、立ち席を強いられました。同行した近所のおばさんと空席探しに通った食堂車ではお姉さんに注文を聞かれてしまい、オレンジジュースを飲みました。私たち子供にとってはもちろんラッキーでした。
 最初の編成の製造から14年が経った頃ですが、だいぶくたびれていると感じました。

481系特急「つばめ」
山陽本線最後の夏、481系特急「つばめ」

尾道に行ったのは、母親の実家が瀬戸内海の因島なので、尾道から船で渡りました。
 「つばめ」・・・どんな列車だったっけ?もうすっかり忘れてる。ベージュ色の特急だったのでしょうか?

写真、文:Kazuyuki様

小学校〜中学校前期の頃一緒に撮影していたKazuyuki君もすっかり鉄分が抜けてしまいました。写真を始めた初期の頃はお互いが撮った写真を焼き増しして交換していましたが、その中の1コマを使わせてもらいました。

●西野さんの「しおじ1号」を「2号」に訂正

西野伊吹さんからお寄せいただいた「しおじ」について、当初は11:56広島発新大阪行しおじ1号と思われたそうですが、当日ダイヤが乱れていたことを思い出され、当時の時刻表を調べられたところ、1号ではなく2号であることがわかったとのことです。以下に西野さんからいただきましたコメントをご紹介します。(01.8.25)


実は、撮影したときの時刻というのが、どうも、怪しげなんです。プリントが仕上がってから、ネガと時刻表をにらみ合わせて、「しおじ1号」と記録しているのですが、この日は確か、上りの長距離列車に乱れがあって、あとで特定するのに苦労しました。
 そこで、昨日、当時の時刻表をあらためて解析してみたんです。上り「しおじ1号」の編成は、大分行き「みどり」、岡山−博多の「つばめ」と同じ、ということは交直流車でなければならない。というわけで、どうも写真は大阪12:32発下関−新大阪の「しおじ2号」のようです。「しおじ2号」ならば、直流専用車(181系)で、写真とも一致します。 となると、この写真は編成表↓からグリーン/普通指定席の「クロハ」ということになります。

下関←  G/指 + G + G + 指 + 食 + 指 + 指 + 指 + 自 + 自 + 自 →岡山

ついでながら、この「しおじ2号」は碧電さんの乗車した「はと」と同じ編成でした。宮島口に停車する「はと」は1034M「はと2号」1本しかありません。

下関7:35→宮島口10:03→広島・尾道・福山→倉敷12:18→岡山12:30 (8/31マデ全車指定席)

さらに付加えると、下り「しおじ1号」上り「しおじ3号」の編成は「月光」、「きりしま」、「明星」と同一で、これが今回運転された581/583系「しおじ」の根拠になっています。
 それにしても、碧電さんの乗車された「はと2号」の直前には急行「山陽」が、直後には「はと3号」が走っており、その豪華な編成ともども隔世の感がありますね。(01.8.24)


西野さん、ありがとうございます。私の手元には当時のダイヤがわかる資料がなく、乗車したのは何号だったのだろうかと長い間特定する機会もありませんでした。宮島口に停車するのが1本だけとなれば間違いありません。改めて写真を見ると、時計は10時10分を示しています。この日は少し遅れていたのかも知れませんね。ご教示いただいたダイヤは倉敷で下車して白壁の蔵を見がてら昼食を食べた記憶とも一致します。小学校4年生当時の思い出が鮮やかに蘇るようです。(碧)

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