■筑波鉄道

2002.2.3 更新   

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関東鉄道筑波線が1979年に分離独立し、その名のとおり筑波山の麓を走る鉄道でしたが、国鉄最後の日となった1987年3月一杯で廃止されてしまいました。
 当線では古くから筑波山への観光客輸送列車として上野から直通の臨時「筑波」が春秋に運転されていました。客車は12系6両編成が主体でしたが、リクライニングシートの14系が使用され、乗客を喜ばせたこともありました。
 牽引に当たっていたのはDD501号で1954年製造という古いものでした。国産のディーゼル機関車の歴史は浅く、この頃はまだ試作が繰り返されており、450馬力という出力は当時としては大形の部類でした。とはいえ、JRでは一般的なDD51形の1/5にしかすぎない出力で6両もの客車を牽引できたのは沿線にこれといった勾配がなかったためと思われます。  同機は鹿島鉄道のDD901同様ロッド式で、そのユーモラスな走りっぷりがファンの人気を呼んでいました。
 この鉄道は東京から近かったにもかかわらずローカル色豊かで、昭和一ケタ生まれのキハ461号や荷台付気動車キハ541号などがファンの注目を浴びていました。私が訪れた1983年5月もこれらの車両を総動員させて観光客をさばいていましたが、この時はまさか鉄道自体が廃止されようとは思いも寄りませんでした。
 当線はレールの継ぎ目の間隔が短いため、単行でも「トトン、トトン」というジョイント音を忙しく刻みながら走っていました。筑波鉄道の名を聞くと今もローカル味溢れるそのリズムと共に古ぼけたディーゼルカーが脳裏を駆けめぐります。(1991年記、2000.10一部追記)


念願叶って筑波鉄道DD501の12系を初ショット。 北海道の雄別鉄道出身のキハ760型。 荷物バケット付き、元北陸鉄道のキハ541

DD501+12系「筑波」
 大学へ入学した1981年のゴールデンウイークに訪問を考えていましたが、アルバイトをすることになって断念したところ、その後に実施された土浦駅の工事のために翌1982年は「筑波」の運転が中断されてしまいました。
 2年後の1983年、やっと初訪問を果たすことになりました。 この頃、一般的には12系6連が使われていました。
1983.5.3 筑波ー常陸北条

キハ761  NEW
 北海道の雄別鉄道から来た車です。国鉄のキハ21形と同時期の製造で、車体はよく似ています。しかし、写真でははっきりしませんが、台車は旧式の菱枠形であることが異なっていました。
1983.5.3 筑波ー常陸北条

キハ541
  元北陸鉄道の荷台付き気動車です。製造されたのは比較的新しいのですが、バケットが付いているだけで古めかしい印象を受けます。
 ふだんはあまり動いていなかったようですが、多客時には増結用として出動しました。
キハ541
1983.5.3 筑波ー常陸北条

筑波鉄道では近代的なスタイルであったキハ503。 西の非電化私鉄の雄、江若鉄道からやってきたキハ511。 元国鉄キハ04のキハ461がやってきた。

キハ503  NEW
 常総筑波鉄道時代に新製された形式で、総括制御が可能となるなど、当時の同社としては画期的な車両でした。一時期は岩瀬から水戸線経由で小山まで乗り入れていた実績もあります。
 501、502は空気バネ付き台車で製造されましたが、後に504、505と互いにナンバーを入れ替え、空気バネ付きの504、505は別形式扱い(キハ504形)となりました。
 501と502はロングシート化されて常総線へ転出しましたが、503〜505は最後まで筑波線で過ごしました。
1983.5.3 筑波ー常陸北条

キハ511  NEW
 現在のJR湖西線に沿って走っていた江若(こうじゃく)鉄道最後の自社発注車として誕生した車です。同社は路線が長く、保有車両数も多かったため、非電化私鉄西の雄といわれましたが、東の雄、関東鉄道に移籍したのは何かの縁だったのでしょうか。私よりも若い1963年生まれですが、側面窓がいわゆるバス窓であるなどローカル色豊かで、古めかしく見えます。
 記録ノートにはこの日往路乗車したのは満員の同車であったとの記載があります。
1983.5.3 筑波ー常陸北条

キハ461  NEW
 1934年製、元国鉄キハ41056(〜キハ048)です。遠州鉄道、北陸鉄道を経由して入線し、キハ461となりました。50才に迫る古豪はファン注目の的でしたが、この頃はめったに稼働することはないと言われていました。
 訪問当日の朝、車庫で姿が見えなかったため、動いていることを期待してまだかまだかと待っていたところ、思いがけず土浦側(車庫のある側)からやってきました。
 キハ461はこの年の稼働以降営業運転に使われることはなかったようです。
1983.5.3 筑波ー常陸北条


●陰りが見えてきた1984年

初訪問からちょうど1年の日は東北本線や高崎線で撮影をしていて顔見知りのKさんに会いました。「今日は14系が入っているらしいので筑波へ行きましょう。」と強く主張していたのはKさんに同行していたこの日初対面の坂本さん(泡沫軌道部)でした。あまり積極的でなかった当方の運転手NさんもKさんも坂本さんの熱意と好天に「行ってみようか!」ということになりました。東北本線でEF58+20系の急行を撮るだけのつもりだった私は筑波鉄道は眼中にありませんでした。
 雲一つない快晴でもいくらかの霞が生じているものですが、この日はほんとうに抜けるような青空でした。前年のようにキハ461や541の出動はありませんでしたが、めまぐるしくロッドを上下させて力走するDD501にKさんは大満足、ついていっただけの私ものんびりと撮影を楽しませてもらいました。
 前年よりも気動車の編成が短く、やや活気が失せているように感じられ、沿線では廃止計画の噂が聞かれましたが、昨年の盛況なイメージが強く、そのときは冗談にしか聞こえませんでした。
 しかし、その後「筑波」の運転は中止され、1987.3.31限りでほんとうに全線廃止となったため、結局この時が最後の撮影となってしまいました。


元国鉄キハ1047のキハ821 抜けるような青空の下、快走するキハ811の単行。 快晴の下、DD501が14系を牽いて筑波を発車した。

キハ821  NEW
 元国鉄キハ1047です。今でこそ茨城交通でしか見られなくなってしまったキハ10系ですが、1970年代後半以降、ローカル私鉄への進出が進み、それよりも古い車両達が引退に追い込まれてしまったため、 当時個人的にはあまり歓迎していませんでした。
1984.5.3 筑波ー常陸北条

キハ811  NEW
 キハ760形同様、雄別鉄道からの譲渡車です。側面窓が1段になったため国鉄のキハ22に似ています。前年の訪問時にキクハ11を除くひととおりの形式を撮影していたため、たまには流し撮りでもしてみようというゆとりが生まれました。写真をサークルのメンバーに見せると「おまえにしては珍しい写真だな。」と言われたものです。
1984.5.3 筑波ー常陸北条

DD501+14系「筑波」
 最も有名だった筑波山バックのアングルです。このシーズンは14系客車が使用され、一応特急にも使われる客車を旧式の小型機関車が牽引するというなんともアンバランスな列車が快晴の下を走りました。
1984.5.3 筑波ー常陸北条

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