■十和田観光電鉄

2004.10.31 UP(2020.6.7 古い記述を補足、修正)

●2012年3月末で全線廃止

私が当線を訪れたのは2002.6の貸し切りイベントの日1日のみです。それから約10年後、残念ながら廃線になってしまいました。私鉄ローカル線の廃止はただ乗客の減少によって赤字に耐え切れなくなったというだけではなく、複数の理由が重なるようです。他サイト様からいろいろな情報を得ることができますが、ここで改めて記すことは差し控えます。
 貸し切りイベントは東急からステンレスの中古車が導入されて自社発注の旧型車が引退する前にという名目がありましたが、導入されたステンレス車も10年弱で引退を余儀なくされたことになります。抵抗制御のままであった7200系は廃線から2年後、2014年大井川鐡道に引き取られて再び活躍する場を得ることができました。しかし、インバーター制御に改造されていた7700系は引き取り手がなく、解体されてしまったと言います。2018年、最後まで東急に残っていた7700系が養老鉄道に譲渡されました。機器更新を受けてまだまだ使用可能であることが評価されていることを思うと、惜しいことをしたものだと思わずにはいられません。
 本稿は2002年に記したものですが、明らかに古くなっている記述以外はそのままとしています。(2020.6.6)

十和田観光電鉄オリジナル電車貸切りオフ会の動画はこちらから開催から既に19年が経過していますが、当日撮影した動画を公開しました。画像から入れます。(2021.2.7)



東北線の三沢と十和田市を結ぶ直流電化の路線です。
 当社にはED301、ED402という鮮やかな塗装の電気機関車2両が在籍し、地方私鉄としては比較的遅い1986年まで貨物列車が設定されていました。幸いその後も両機は廃車されることなく、冬季の除雪など、事業用に使用されていました。
 電車は1981年に元東急3000系が導入されて以来主力となり、1990年から12年間、車両の動きはありませんでした。しかし、2002.7に東急からステンレス車7200系、7700系が導入され、秋には自社発注車であるモハ3401、クハ4406を含めて旅客用電車が一新されることになりました。
 なお、今回アップした電気機関車の列車は撮影を目的として貸し切り運転されたもので「旅客列車」ではありませんが、かつてED301号がモハの故障時などにクハを牽引して営業運転を行っていた実績がありますので本編で扱いました。

(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。



●十鉄開業80周年記念行事(小林大士さん提供)

貸切オフ会から3ヶ月後、十和田観光電鉄の開業80周年を記念して再びイベントが行われました。現地を訪問された小林大士さんから提供いただいた写真を長らくお預かりしていましたが、今回の更新を機会にご覧いただきましょう。

出動を待つED401とED301
旧十和田市駅でイベントへの出動を待つED401とED301

旧十和田市駅にはイベントへの出動を待つED401とED301が待っていました。既にパンタグラフが上がっています。
 また、後ろで控えるステンレスカーが撮影時期を物語ります。

重連で七百へ
重連で七百へ向かうED401+ED301

重連で七百へ向かうED401+ED301。ED401には大きなスノープラウが取り付けられ、冬季の除雪に活躍していました。

電車に機関車を連結
七百駅で電車に機関車が連結される。

七百駅で電車に機関車が連結されます。ここから三沢までは機関車が電車を押すような編成で走ったことになりますが、実際に力行していたのはどの車両なのでしょうか。

開業80周年記念列車
重連牽引の電車が帰ってきた。

三沢から十和田市までが正式な記念列車となります。重連で電車2両を牽いてきました。貨物廃止後、ED301は脇役の脇役ともいえる存在ですが、電化開業当時からの車両である同機が先頭に立ったことは意義深いことと思います。

東急グリーンのモハ3603
東急時代の緑色に塗られたモハ3603号

引退予定のモハ3600形を東急時代の緑色に塗替えました。当初は6月の貸切オフ会で実現させる計画でしたが、沿線自治体との調整に時間がかかって間に合いませんでした。なお、塗装費用の一部が貸切オフ会の会費からも協力されています。

ステンレスのインバーター電車
北の国でのデビューを待つ7700系

吊掛車100%の十和田観光にいきなりステンレス製のインバーター車が入線しました。東急から来た7700系は7000系をVVVF制御に改造した車両です。7000系のスタイルが引き続き見られることは喜ばしいことでした。
 譲渡されず、東急に残留したものは養老鉄道に移籍しました。こうして見ると、無装飾のスタイルのよさを改めて感じます。



●オリジナル車貸切オフ会

当線にはなかなか訪問する機会がありませんでしたが、ネットで貸切電車のイベントを知りました。最初の実施である2002.3は開腹手術を受けて日が浅いという健康上の理由で参加を断念しましたが、忘れかけていた頃、2002.6.22に再びイベントが企画されることを知りました。今度こそはと遠路参加させていただくことにしました。主催者さんによる案内掲示板では当日三沢に停車する寝台特急「はくつる」はまだ少ないながらも空席があるとの書き込みがあり、無事に乗車できたことも今となっては貴重な思い出になりました。
 2両の電気機関車との組み合わせやJR三沢駅への入線、七百車両区における撮影会などたいへん充実したすばらしい企画で、乗車、撮影を存分に楽しませていただきました。

前菜なしのメインディッシュ
ED402とオリジナル車2両の組み合わせ。

七百駅で受付を済ませ、古里へ移動しました。七百9:22の51列車は前菜なしのメインディッシュED402+オリジナル車2連です。
 実はこの列車、後退しています。力強く唸っているのは先頭のモハ3401号で、ED402は最後部にぶら下がっているだけ?でした。

撮影用に一旦停止中
ED402号がクハ4406を牽いて戻ってきた。撮影用に一旦停止中。

モハ3401号を十和田市に置いてED402号がクハ4406を牽いて戻ってきました。古里駅手前では撮影のために一旦停止していただきました。発車の寸前にライトが点灯。ここがシャッターチャンス!です。
 ED402号は工場専用線の機関車然としていますが、そのユニークさに写欲がそそられました。

電化当時の車両唯一の生き残り
1951年の電化当時に導入された車両唯一の生き残りED301号とモハ3401の組み合わせ。

十和田市に残されたモハ3401は単機で迎えに来たED301号に牽かれて七百に戻りました。1951年の電化当時に導入された車両唯一の生き残りが走行するシーンを見られるとは感激です。
 車体が低く、パンタ架台がかなり嵩上げされていますが、それでもまだパンタが背伸びしています。

七百車両区で撮影会
入れ換え中にモハ3401とモハ3811との組み合わせが見られた。

電気機関車の運転後は七百車両区で撮影会が開かれました。今回のイベントの中心的役割を果たした自社発注車モハ3401は1955年製造という古さを感じさせないなかなかの美形です。バス窓にオリジナルの塗装はローカル私鉄らしさを醸しますが、15年くらい前にはまだまだ各地にあったこんな車両もめっきり減ってしまいました。

ライトつけた方がいいかい?
「ライトつけた方がいいかい?」「できたらお願いします。」十鉄さんには撮影にいろいろと便宜を図っていただきました。

十鉄さんには撮影にいろいろと便宜を図っていただきました。殺気だった雰囲気など全くない和やかな撮影会でした。
 ハイビームでまぶしく感じられた3811号のライトも写真にしたらそうでもありません。

日常の定期列車
新性能車5000系ですら譲渡先で壊滅状態の今日までよくぞ残ってきた吊掛式の3000系。

撮影会の後は貸切電車や定期電車を撮影しました。七百駅から柳沢寄りにすぐのところでは大勢の会員が撮影されていました。関西とは違って気温が低く、風が強いためか体感温度はさらに低く、ぶるぶる震うほどの寒さでした。
 東急3000系は関東在住の頃何度も乗りましたが、その残党もいよいよ消えるものと、この時は思いました。しかし、モハ3603は東急グリーンに塗り替えられてイベント用に残り、廃線後も残されています。

再現、貨物列車
撮影会終了後は電気機関車が駅構内留置の貨車に連結されて貨物列車を再現。

公式撮影会には含まれていませんでしたが、終了後は電気機関車が駅構内留置の貨車に連結され、かつての貨物列車が再現されました。思いがけないシーンは多くの参加者の賞讃を受けていました。これも実行委員会さんが交渉し、十鉄さんがリクエストに応じて下さったものと思います。

東北一のデラックス車
貸切電車が三沢に到着後、停止位置を移動してミニ撮影会が行われました。

撮影会のあと、イベントのタイトルにもなった十鉄オリジナル車による貸切電車が運転され、会員は自由に乗車することができました。三沢に到着後は位置を移して形式写真の撮影ができるように配慮されました。
 タイトルのように、当車が登場した頃は高い評価を得ていました。

十鉄オリジナル車同士の2連
モハ3401の単行の後、十鉄オリジナル車同士の2連が運転されました。

2連での運転は少なく、クハ4406の走行を撮影できる数少ないチャンスでした。
 撮影後、駅へ戻って定期列車で三沢へ向かいました。運転終了後は打ち上げ会が予定されていましたが、厳しい食事制限を受けていたため辞退しました。三沢駅で主催者さんのお一人にお礼を言って失礼しました。お名前は忘れましたが、とても物腰の柔らかい方でした。




●イベントに参加して

今回のイベントではインターネットによる最新情報の迅速な伝達という恩恵を改めて実感しました。また、自分が撮影する列車にお金を支払うという経験を初めてしました。当ページに掲載した臨時列車は実行委員会の皆さんの想像及ばぬ努力、十和田観光電鉄さんのご理解、ご厚意、60名にも及ぶ会員の賛同と会費によって初めて走ったものです。
 近年では合理化、画一化が進んで個性的な車両が減り、老朽化によって保守用部品の調達も困難になってきています。さらに、少子化、道路の整備、不景気などの影響で鉄道会社の経営はいっそうの厳しさを増し、一部のファン向けのイベントを開催をする余裕がなくなりつつあります。
 自己反省も込めた上で言えば、日本の鉄道ファンは撮るのはタダ、イベントは鉄道会社に「してもらう」という他力本願的な意識がまだまだ強いと言わざるを得ません。イベントに参加して、これからの時代は撮りたい人、乗りたい人が自ら企画し、乗ることはもちろん、撮ることにもお金や努力が必要であるということを理解し、この趣味の世界をより成熟させなければならない時期に来ているのではないかと感じました。(02.6.29)

●関連ページのご案内

相互リンクしていただいている下記2サイトには十鉄に関するお薦めページがあります。こちらもどうぞお訪ね下さい。

   デトニの部屋 1978年に撮影された今はなき車両たちや貨物列車を牽くED402など特集3 わだいのくるま

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