1999年、新潟県に残っていた中小私鉄が相次いで廃止になりました。4月には新潟交通が、10月3日には今回掲載する蒲原鉄道が営業を終えています。2社とも部分廃止を経て、全線廃止となったものです。
当社にED1号という電気機関車が配属されていました。貨物列車は早々に廃止されていましたが、冬季の除雪用や保線工事用として残されていました。昭和初期の製造で、ボールドウイン、ウエスチングハウスタイプのコピーを日本車両(電機品は東洋電機)で製造したものです。そのためか、名鉄デキ370形に似ています。
訪問日は「かんてつレール祭り」というイベントが開催され、開業77周年記念列車ほか、電車との併結運転が行われました。
廃止が1週間後に迫っているにもかかわらず、在籍車両を総動員しての運行になりました。中でもクハ10は国鉄のキハ41000形の改造車ですが、通常は朝の通勤通学列車1往復にしか使われていなかったとのことで、日中に捕らえられる貴重な機会でした。その他、ED1を含む各車を用いて編成を組み替えたり、ヘッドマークやサボを頻繁に付け替えるなど、ファン心を満たすプロデュースがなされていました。
ビコムさんがYoutube上で公開している動画によれば、メンバーのひとりに鉄道博物館学芸員であった岸由一郎氏がいらしたとのこと。同氏は震災による土石流という不慮の災害により若くして他界されましたが、この催しは同氏の功績の1つでもあることを記憶にとどめておきたいと思います。
この撮影旅行では蒲原鉄道の前に埼玉県、群馬県を訪れています。9/24はお座敷列車「くつろぎ」の引退イベントとして、EF55の牽引による団臨が予定されていました。さらに翌9/25には「オリエントサルーン」をEF5861とEF6019(やすらぎ色)が牽く列車があり、これらの撮影を絡めました。当時私は大阪勤務。普通に考えれば往路は東海道経由ですが、未乗車だった特急「北陸」に乗りたくて、金沢まで「サンダーバード」、ここから「北陸」のソロを利用しました。
帰りは新潟から急行「きたぐに」に乗り、いったん帰宅後に着替えてそのまま出社する計画でした。
遠征の機会にしばしば寝台列車に乗り、それが楽しみだったものですが、「北陸」、「きたぐに」だけにとどまらず、「サンライズ」以外みんななくなってしまいました。
最後になりますが、当日撮影した動画をアップしました。レトロな車両たちの最後の活躍をご覧ください。(写真をクリック)