2012.9.19 UP
当社にはお互いに直接線路がつながっていない大雄山線と駿豆線があります。駿豆線では古くから東京からの直通列車が修善寺まで乗り入れていた実績があり、185系特急「踊り子」号として今もなお継続されています。
乗り入れ車両は電車だけではなく、東海道本線に多数の客車列車が運転されていた時代には客車も乗り入れていました。
長らく客車の乗り入れは中断されていましたが、国鉄時代の1980年、東京南鉄道管理局にスロ81系お座敷客車(通称:シナ座)が配属されると、翌1981年に乗り入れが実現しました。
駿豆線を初めて訪れたのは1982年2月。春休みの帰省時でした。学生時代の帰省時には沿線にあるローカル私鉄を順次訪問していましたが、初回の訪問では特段の目的はありませんでした。しかし、旧型車の1000系を撮ったのはこのとき限りであり、決して無駄ではありませんでした。
当時は情報力もなく、滅多に入って来ることがないスロ81系お座敷列車を捕らえるチャンスはなかろうと思っていました。ところが、時刻表に同車を使用した臨時急行「お座敷レジャー号」修善寺行が掲載され、東海道線内を担当するEF58の充当機と共に大いに期待が高まりました。
訪問の10日ほど前に豪雨で東海道線の富士川橋梁の下り線が流失してしまい、実行が危ぶまれました。しかし、単線で運転を再開。本数は間引かれていましたが、無事に訪問することができました。
駿豆線の電気機関車、ED32号、ED33号は西武鉄道から譲渡されたものです。外観は名鉄デキ600形に似たいわゆる戦時標準設計です。台車やモーターは電車用のもので、スロ81系を牽いた当時は100kWx4でした。17m級旧型国電と同仕様ということになりますが、旧型国電が概ね1M1Tの比率であったのに対して、1M6Tという驚くような低出力比です。交換駅以外は停車することはなく、平坦線では何とか牽けたようですが、修善寺付近には勾配区間があり、苦しい運転を強いられていたようです。「お座敷レジャー号」も定刻より明らかに遅れてやってきました。
(なお、Wikipediaによれば、現在は128kWのMT30に交換されているとされています。おそらく、廃車になった1000系から流用したものではないかと思われます。牽引当時発刊されたカラーブックス「私鉄の機関車」より100kWx4としました。)
何誌の何号であったかを見つけられずにいますが、雑誌の運転計画にサロンエクスプレス東京が修善寺へ乗り入れる予定が掲載されたことがあります。しかし、これは結局実現しませんでした。それはなぜでしょうか。
国鉄(JR)から伊豆箱根線へ乗り入れる列車は三島駅の1番線に到着しますが、ホームの途中から分岐する配線になっています。ポイント通過時に車体がぶつからないようにホームには欠き込みが設けられています。
当時、地元のファンの方から聞いた話ですが、踊り子号や旧型客車(スロ81系)は20m車のため問題ないものの、12系や14系は車体が1.3m長いため、支障することが判明したとのことでした。14系の改造車であるサロンエクスプレスは入線できないとされ、ED32、33との組み合わせはまぼろしに終わりました。
当車の入線に備えて整備されたと言われるED33号ですが、その後、スロ81系をED32号との重連で牽引しています。
スロ81系が廃車になった後は当線における客車列車の乗り入れは実現していません。東京南局後継の12系お座敷客車「江戸」も乗り入れたことはないのです。
1991年に「ゆうゆう東海」が乗り入れた時は帰省のUターンで立ち寄ることが可能であったため、容易に訪れることができました。しかし、それから20年以上もの間、同社を訪問する機会がありません。
ED32、33号は大雄山線車両の大場工場への入出場の際の牽引機として今も陰ながら活躍しています。私鉄の機関車自体が激減してしまった今、末永い活躍を願わずにはいられません。