■紀州鉄道

2016.11.6 UP   

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学生時代を過ごした1981〜1985年、行動範囲が広がって、各地のローカル私鉄を訪問しました。特に非電化私鉄は重点的に訪れています。
 1982年のサークル(鉄道研究会)夏合宿が和歌山県となりました。この機会に紀州鉄道へ行こうと計画したのは言うまでもありません。

初訪問日:1982.7.22


●既にキハ600形が主力だったが

非電化私鉄を好んで訪問した理由。それは、当時はまだ純粋な民鉄車よりも国鉄形嗜好で、非電化私鉄には国鉄では既に姿を消した形式に会える会社が多数あったためです。
 ここ、紀州鉄道についても、旧国鉄キハ41000形(キハ04)が残っていましたが、1976年に大分交通耶馬渓線のキハ603、604が導入されてからは、走る姿を見るチャンスはなくなっていました。
 そういう意味では、既に時遅しの感覚でした。


運用離脱後も長年にわたって紀伊御坊に留置されていたキハ16 日高川−西御坊をゆくキハ604 DC251が牽く貨物列車

キハ16
 まずは碧海電子鉄道開業16周年記念画像としてキハ16を掲載します。キハ16は跡地の一部が湖西線となっている江若鉄道から転入したものです。16という番号は江若時代に与えられました。カラー写真を事前に見ることがなく、キハ603、604の塗装と同様であることはこのとき初めて知ったと思います。キハ603、604は大分交通時代の塗装のままですが、その塗装に合わせられたと考えられます。

日高川−西御坊間をゆく
 掲載順序が前後しますが、当日朝はまず西御坊へ。ここ止まりの列車だったためで、歩いて日高川へ向かいました。その間に日高川行きが来て、帰ってくる列車を撮ったようです。紀伊御坊から先は引きが取れる場所がありません。
 サークルのスライド映写会で好評だったこの写真、もし日高川行きに乗っていたら撮れなかったことになります。しかし、乗車しないうちに廃止になったのは残念です。

紀伊御坊に停車中の貨物列車
 日高川では奥のほうで木材チップを貨車に積み込んでいるのが見えました。そのチップを積んだ貨物列車が来ました。後方には番号がわかりませんが、キハ603か604が停まっています。日高川からの進路を遮るように止まっている理由がわかりませんが、貨物列車はホームに停車する旅客列車に支障しないようにこの線に入ったのでしょう。
 左端の留置線には車両がありません。まだ残されていたキハ40801は既に紀伊御坊にはいなかったようです。

DC251の貨物列車が紀伊御坊を発車 貨車を御坊に置いて機関車が単機で戻ってきた。 沿線で最も開けた区間をキハ603がゆく

貨物列車が紀伊御坊を発車
 ここで待っていたということは、駅で発車時間を聞いたのだろうと思われます。もっと開けたところで撮るべきだったと思いますが、既に西御坊−日高川−紀伊御坊と歩いていて、同行のY君にも炎天下、さらに歩いてもらうのは申し訳ないと思ったのでしょう。

単機で戻ってきたDC251
 それでも、学門までは歩いたようです。
 DC251はもともと九州の熊延(”ゆうえん”と打ってももはや変換されません)鉄道が保有していたものとのこと。熊延とは熊本と延岡を結ぶ壮大な構想に基づく名前で、その距離には似つかわしくない小さな機関車ですね。 熊延→江若→御坊臨港(後の紀州)と所有者が変わるも、DC251の番号は変わらなかったようです。

1986年に再訪
 紀州鉄道を再訪したのは1986年のことです。この日はEF58、EF15の重連さよなら列車が走り、折り返すまでの間に立ち寄ったものです。
 この時、まだキハ603の前面窓ははオリジナルのHゴム支持で、「ワンマン」の札もかかっていません。つまり、短距離でも車掌が乗務していたということになります。
 ワンマン化は1989年のことで、改造に際して、前面窓が金属サッシ化されました。

岡山臨港鉄道から譲渡されたキハ1003は当時の姿のまま。 この日の午後から予備車となるキテツ2 信楽高原鉄道から譲渡されたKR301はこの日の午後紀鉄でのデビューを果たした。

岡臨時代のままのキハ1003
 紀州鉄道を訪れたのは、この車を見たかったからでもありました。岡山臨港鉄道の廃止直前に紀州鉄道が引き取ったとされています。導入から既に1年半くらい経っていることになりますが、意外なほど岡臨時代のままでした。

それから30年ぶりの再訪
 さらに30年の月日が流れ、既に長年活躍したキハ603も引退していました。北条鉄道からやってきたキテツ2号は国内最後の現役4輪単車です。この日はDD51重連が牽く「サロンカーなにわ」の団臨を目的に紀勢本線へ来ていましたが、キテツ2号は夕方からこの日デビューするKR301号に交代するため、「なにわ」の撮影前に立ち寄りました。
 ずっと開けていたこのあたりも、ビニールハウスがたくさんでき、様子が変わっていました。

KR301号デビュー
 信楽高原鉄道から譲渡されたKR301号はたまたま訪問日の午後からセレモニーを行い、デビューすることになっていました。
 「キテツ」はバス並みの車体設計であり、耐久性を考えればよくもったと言えるでしょう。
 旧信楽車は車体が大きすぎるのではと思いましたが、雨の日、利用客が増えるとキテツでは積み残しが出ることもあったとのこと。ピーク時にはこれくらいの大きさが必要なようです。
 デビュー当日なのにヘッドマークはなし。ガラガラの車内はちょっと寂しいところです。


●キハ605のこと

紀州鉄道キハ605は常磐炭礦キハ21として新製され、その後、岡山臨港鉄道、紀州鉄道へ移籍しました。2000年には廃車となり、保存団体に引き取られて有田川鉄道交流館で保存されていましたが、現在はさらにジェイアール貨物ロジスティクスに引き取られ、販売前提での整備が行われています。
 当社へやってきたのは、岡山臨港鉄道が廃止となる1984年末のこととされます。私は1986.2に現車を撮影しています。ここでは資料として、検査標記のアップを載せておきたいと思います。
キハ1003号の検査標記 60-3 64-3 紀州鉄道と読み取れます。昭和60年3月に紀州鉄道の車両として竣工していたことになります。「64」は昭和64年ですが、昭和は1週間で終わり、平成元年となりました。西暦では1989年です。この年、紀州鉄道ではワンマン化が行われました。キハ603、604のほか、この1003号も改造を受けています。乗降扉の交換、運転台窓2枚を1枚サッシ窓に改造、塗装を紀鉄標準色に変更したほか、機械式変速機をトルコンに改造しているようです。番号は変えないことが多かったのですが、604に続く605に改番されました。
 試運転を行ったものの、振動が大きく、結局一度も営業運転に使われることなく、約15年間放置状態であったとされます。手間、お金をかけて改造したのならば、当然使用することが前提であったと思われます。それならば、標記の昭和60年3月の整備時には不具合がわからなかったのでしょうか。このあたりに疑問が残ります。
 岡山臨港鉄道では、水島臨海鉄道から購入したキハ7000形が大きすぎて、燃料を喰うので、在来車のキハ5001号を常用し、予備車として当初はキハ7000形の導入時に廃車予定であったキハ1003号が残されました。そのことを同社のページに書きました。
 紀州鉄道では朝の通学時を除けば僅かな乗客しかなく、キハ1003の導入にあたっては、閑散時向けには手ごろな大きさであることを意識していたのではないかと思われます。
 岡山臨港時代を含め、存分に活躍したとは言えない同車ですが、何度も危機を乗り越え、今なおその姿をとどめています。安住の地が見つかることを願うばかりです。

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