■加悦鉄道

2007.10.10 UP   

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『かやてつどう』と読みます。国鉄宮津線丹後山田(現北近畿タンゴ鉄道野田川)から加悦までの5.7kmを結んでいた私鉄です。訪問時には既に乗客もまばらで、営業を続けているのが不思議なくらいでした。細々ながらも貨物の運賃収入に頼っていたローカル私鉄が大打撃を受けた1984年(昭和59年)2月ダイヤ改正以降も、翌年(昭和60年)4月一杯まで持ちこたえました。
 手元にある時刻表によれば、1982年11月の時点で鉄道7往復バス6往復。それが廃止間際の昭和60年1月のダイヤでは鉄道は4往復のみで、しかも加悦着1357分が最終。残りの9往復がバス代行にまで減便されていました。有田鉄道末期の頃はさらに極端なバス代行でしたが、同様な状況が見られました。

訪問日:1983.3.16


●地震が不運の始まり

加悦鉄道は山陰本線の支線、宮津線丹後山田から分岐していましたが、その宮津線の列車本数が少なく、しかも丹後山田は急行の一部しか停まらないなど、訪問するにはなかなか不便なところでした。
 春休みの帰省中、青春18きっぷを利用して訪問する計画でしたが、当日の未明、震度4の地震が発生。刈谷駅に着くと、東京発大垣行きの夜行電車(刈谷では初電)は静岡でストップし、いつ来るかわからないとのこと。いきなり出鼻をくじかれることになりました。完全な個別行動ならば中止すればよいのですが、翌朝、大阪で先輩との待ち合わせがあり、連絡手段がないことから出掛けざるを得ませんでした。
 急遽知立から名鉄に乗りましたが、米原では北陸線の普通を目の前で発車させてしまう意地悪によって接続せず。やむなく特急「しらさぎ」に乗車したものの、これも新幹線との接続の関係で遅れていて、さらに、踏切の直前横断で緊急停車という立て続けのトラブルに見舞われました。
 小浜線の普通列車に乗り継げなければ現地到着は夕方になってしまうかに思われましたが、こちらは30分近くも待っていてくれ、丹後山田に降り立つ頃にはスケジュールの遅れを取り戻していました。
 一時はどうなるかと思ったところ、やれやれでしたが、発車を待っていたキハ10を見てがっかりしてしまいました。既に国鉄線上からは姿を消していたキハ10でしたが、ここにはそれ以上に希少価値のある車両が残っていたのです。


丹後三河内を発車したキハ10はすぐに三河内口に到着する。 荷台付き気動車キハ51 我が国の鉄道の創始期にイギリスから輸入された機関車。

当日の稼働車キハ1018
 がっかりに追い打ちをかけるように雨が降り出しました。この年の3月はとにかく雨が多く、私は雨の降る日を狙って撮影に出掛けているような状態でした。
 丹後三河内を発車した気動車はすぐに次の三河内口に到着します。線路状態は芳しくなく、スクーター並のスピードでも右に左にユサユサと大きく揺れます。

荷台付き気動車キハ51
 今も加悦SL広場に保存、改修が行われているキハ51です。車籍はありましたが、1両で足りる状態であり、当時動いていたという話は聞いたことがありません。それでも大切にされ、きれいな状態を保っていました。
 車庫の中では片ボギーの保存車キハ101が塗装中でした。手入れが継続されてきたことが、今日までその姿をとどめていることに間違いはないでしょう。

明治の蒸気機関車2号
 我が国の鉄道の創始期にイギリスから輸入された機関車。当時から良好な状態を維持してきました。この機関車も車籍があり、書類上は現役でした。2005年に機関車台帳と共に重要文化財に指定されました。
 大型のキハ10やキハ08では輸送力過剰で、このSLが牽く小型客車1両くらいのほうが似つかわしい感じがしました。

塗装補修中のキハ101 残念ながらお休みだった客車改造気動車キハ083 古典的なディーゼル機関車DB201。

塗装補修中のキハ101
 珍しい片ボギー車キハ101は塗装の補修作業を受けていました。作業をされていた社員の方が、「もう使っていないが、この鉄道を支えてきた車両なので大切にしているんだよ。」と話されたように記憶しています。

気動車に化けた客車キハ083
 期待のキハ083は加悦で休んでいました。気動車の新造が追い付かず、客車にエンジン、運転台を取り付けて急場をしのいだものですが、元々両数が少なく、残っているのが不思議なくらいの貴重ものでした。北海道向けであったことから暖房の効きがよく、冬場はよく使われていると聞いたのですが・・・。

名物の小型DL
 森ブタと呼ばれていた古典的なディーゼル機関車DB201。とっくに使われなくなった車両たちもその多くが保存されてきました。
 現在は加悦SL広場で構内運転できるところまで修復されています。

貨物輸送に活躍した川重製のDL。 加悦へ戻ってきたキハ1018 山崎さんが行ったときには動いていたキハ083

DD352
加悦駅で撮影をしていると、丹後山田方面からディーゼル機関車が単機で戻って来ました。機能一点張りで飾り気のない機関車ですが、1974年製で、当時まだ新しいものでした。
 到着後、しばらくすると構内の車両の入れ換えが始まりました。お目当てであったキハ08も移動され、機関車が付いたまま停まってしまったため、お顔が撮れなくなってしまいました。

加悦駅、腕木式場内信号機を背に
 丹後山田へ行っていたキハ1018が戻ってきました。右奧に見えているのが加悦駅舎で、現在は加悦SL広場へ移設されて健在です。バックの山は雪が積もっていて、まだまだ寒かったはずです。

キハ083の走行シーン
 別の日に山崎さんが訪問したときはなんとキハ083が稼働していました。
 寒い時期に動くと聞いたのに、草が青々としたところを走る写真を見せてもらうことになるとは皮肉でした。しかし、そのおかげで晩年の加悦鉄道を語るに欠かせないキハ08の活躍をご覧いただくことができました。

写真: 山崎俊様


●一度きりの訪問

この日、丹後山田に戻った後、宮津線を西へ。豊岡で夕食後、DD51が牽くオハニ36で山陰本線をさらに西へと向かいました。そして、浜村で「ターン」して夜行普通列車「山陰」で京都へ向かいました。「山陰」の待ち時間短縮、睡眠時間確保が目的ですが、同様の行動を取っていた同好の方がいらしたのを思い出します。

 同社を訪問したのは結局このときのみで、貴重な客車改造気動車キハ083が走る姿を見ることはとうとうできませんでした。それでも、旧加悦鉄道の車両保存活動はその後活性化し、当時の車両のほとんどが生き残り、徐々にではあるものの一部が動ける状態にまで復元されているのは喜ばしい限りです。

 訪問当日ははっきり言ってついていませんでしたが、今回当時のネガをスキャナーにかけてみて、生きている腕木信号機、列車を待つ地元の老人など、保存鉄道と営業路線の違いを感じます。やはり行っておいてよかったと改めて感じているところです。

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