■岳南鉄道

2002.5.25 UP(20.3.10 古い記述を修正)

静岡県の吉原駅(東海道本線)から岳南江尾までの富士山の麓を走る鉄道です。
 これといった風光明媚な場所もありませんが、沿線にある工場向けの貨物輸送が行われ、個性的な電気機関車たちが在籍していました。白煙が立ち上る製紙工場の煙突をバックに古老ED501が貨車の入換え作業を行うのは当鉄道の象徴的な光景でした。
 吉原駅の貨物取り扱いの廃止に伴って、2012.3、当鉄道の貨物輸送も廃止を余儀なくされました。貨物列車の廃止は一層の経営悪化を招きました。公的支援を受ける鉄道部門が分社化され、「岳南電車」を名乗るようになりました。近年では工場沿線を走ることを生かした「夜景電車」など前向きな取り組みが行われています。


●碧海にも無縁ではない鉄道

中学生の頃、貨物列車にED281という電気機関車が連結されているのを目撃したことがあります。当時はどこの機関車かも、どこへ運ばれるかもわかりませんでしたが、その後毎月購読していた「鉄道ファン」の記事から岳南鉄道の機関車であることを知りました。当時同社は全般検査を名鉄に委託しており、東海道線を下って刈谷に到着した電車や機関車は名鉄三河線の貨物列車に併結されて鳴海工場へ運ばれていたのです。

 郷里を離れて下宿生活を始めた大学1年の夏休み、初めての帰省をしました。高い料金を払って早く着いてしまうなんてつまらないと、それ以来ほとんど新幹線を使うことはなく、在来線で沿線から分岐する私鉄を訪問することが楽しみの1つになりました。元小田急などの旧形車が運用離脱するまでに間に合いませんでしたが、駅に留置されている車両を辛うじてカメラに収めることができました。

(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。


全般検査を受けたモハ1603号
名鉄鳴海工場で全般検査を受け、刈谷で吉原への発送を待つ1603号。

この日は北陸本線へ撮影に出かけようと一番電車(大垣夜行)に間に合うように刈谷駅へ向かいました。構内に入ってびっくり、見慣れないぴかぴかの電車が停まっていました。「GNR」、「54-3鳴海工」の表記から名鉄鳴海工場で全般検査を受けて発送を待つ岳南鉄道の電車とわかりました。バルブ撮影も初挑戦に近く、プリントが仕上がった時には夜明け前の空の色に感動しました。

活躍を開始した頃の5000系
活躍を開始して間もない頃の元東急5000系。

旧型車の老朽化に伴って東急電鉄から5000系が導入され、オレンジに白帯の標準塗装で活躍を開始しました。それまで活躍していた日本車輛標準タイプ車体の1100形や元小田急の1600形、1900形は全て廃車となり、旅客車両が一新された直後の撮影です。

新旧電車の顔合わせ
運用離脱した1905号と発車する5103号

当時は身延線の旧形国電も115系への置き換えが決まっていたため、岳南鉄道は本吉原まで往復するにとどめました。特に予備知識もなく、思い付いた駅名を適当に言って切符を買ったのですが、運用を終えたモハ1900形と5000系の組み合わせを撮ることができました。

大井川に到着直後のモハ1105号
大井川鉄道に到着直後の1105号

唯一のステンレスカー1105号はたとえ走らずともなんとか写真を撮れないかと思って駅員さんに尋ねたところ、「昨日大井川鉄道に発送しました。」との答が返ってきました。この日午後に立ち寄る計画をしていたのは好都合で、早速願いが叶いました。
 ネガを取り込んでいてこの日は午後から夏らしい日差しが照りつけたことを思い出しました。大鉄さんに尋ねると、この日の朝新金谷に到着したばかりとのことでした。

復活「あおがえる」
東急時代の緑色塗装が復元された5000系

5000系の引退を控え、1編成が東急時代のグリーン塗装に戻されました。吉原に到着したとき、ちょうどその編成が停車中でした。
 1981年の撮影から16年後、後ろの工場はなくなっていますが、左側のタンクは看板が変わっているものの健在のようです。

吉原を発車した貨物列車
岳南鉄道を支えていた貨物輸送

ダム建設資材を輸送するために松本電鉄に導入されたED40形は2号機と2号機の2両が存在します。松本では1番はED30形に付番されていたため、ED40形は2番からになりました。
 貨物輸送の主力として活躍した同機はパノラミックウインドーの近代的なスタイルですが、茶色塗装がよく似合い、私鉄の機関車の中でもお気に入りの1形式です。


●その後の訪問

学生時代には東海道線で静岡県を横断する機会はいくらでもありましたが、変化がないとなかなか立ち寄ることはできないものです。いつでも寄れると思っているうちに貨物列車の本数が減り、中学生時代に見たED281は廃車になってしまいました。
 1997年の秋、元京王3000系の改造車7000形の導入によって元東急5000系が引退することになりました。旧型車時代からの標準色である朱色に白帯で活躍してきましたが、1編成が製造当時からの緑色に戻され、「青蛙」が再現されることになりました。ちょうどその頃、浜松で会議があり、翌土曜日は自由に過ごすことができました。この機会に岳南を訪れない手はなく、貨物列車に間に合うようにと朝食のあと早めにホテルを出たのでした。


富士山と青蛙
短期間だけ実現した富士山と青蛙の組み合わせ

場所を変えながら「あおがえる」を撮影していたら結構な時間が経過していました。陽が西に傾き、だいぶ影が長くなってしまいましたが、このとき限りとなる「あおがえる」と富士山の組み合わせをなんとか撮ることができました。

5000系の後継モハ7000形
京王井の頭線の中間車に岳南のお面を付けた7000形。輸送量の減少が心配。

元東急5000系は1954年の登場から40年以上が過ぎ、京王井の頭線で走っていた3000系の改造車に置き換えられることになりました。中間車からの改造ですが、3000系のイメージを踏襲する運転台が取り付けられました。単行でもまかなえるほどに輸送量が減っているのは気がかりです。

比奈の入換機ED501
入れ換え作業が一段落して小休止中のED501

ナンバーの字体からもわかるように名鉄に所属していたことがある機関車です。撮影したこの年で73才の古老が長い貨車を引き出しては突放を繰り返す光景を目にし、その健丈ぶりには感心させられました。いつまでも元気で活躍してほしいと願わずにはいられませんでした。

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