2周年記念企画:出世した車両たち(28)



■第28回:名鉄モ900形   03.05.13UP

レールのきしみが聞こえてきそうなカーブをを行くモ902

●赤いパノラマカーも真っ青、ミュージックホーン付きの旧形特急

名鉄の第3弾はモ900形です。実は当初、キハ8000系以外は認定対象に考えていませんでした。モ900形は特急用として整備を受けていますが、一度はモーターを抜かれ、オリジナルのものよりも古い木造車の足周りに履き換え、名鉄では離れ児島の支線である瀬戸線へ転属することが出世になるだろうかと悩みました。しかし、その装備、評判を整理するうちに、なんら遜色はないと考えるようになりました。
 なお、連結相手のク2300、2320形は名豊間の超特急「あさひ」という偉大な実績、電装解除のままであったことから、瀬戸線の特急車に充当することを以って出世とするのは難しいと考えました。(碧)

出世車両として遜色ない装備

碧電さんの「出世車輌」の企画を聞いたとき、真っ先に思いついたのは名鉄キハ8000、国鉄157系。このあたりは定番ですが、あとは名鉄のモ510なんかもそうかな、と鈴木さんにお話したら「それでは瀬戸線のモ900もそうですね」という話になりました。

 合併された知多電鉄からの引継ぎ車が支線とはいえ、転換クロスに改装され、当時はパノラマカーだけだった特急色の赤をまとい、さらに白帯をきりりとまいて、これもパノラマの装備品逆富士形の前サボ、さらにはミュージックホーンまで付けられたのですから、たいした出世ぶり、といえるでしょう。

トップ写真:
1977年4月、東京を離れ名古屋での一人暮らしが始まりました。学校も暮らしのペースも一息ついたころ、名古屋へ来て初めてカメラを持って出かけました。まずは名古屋駅で「くろしお」のキハ81やEF61などスナップ、その後中央線で大曽根に行き瀬戸電を撮影しました。なぜ瀬戸電かといえば、たぶん帰りの足(大曽根からバスが出ていた)のことを考えてのことだったと思います。当時は栄延長工事も始まっており、名物だったお堀の部分はすでに廃止となり、土居下折り返しになっていました。標準レンズしか持って行きませんでしたが、中央線をくぐる急カーブを見て望遠があればよかったなぁと思ったものです。
 1977.4.23 名鉄瀬戸線 矢田ー大曽根

トップ写真、文: 汽車・電車1971〜 TADA様
元は常滑・河和線の前身、知多鉄道の電車

名鉄モ900形は1931年、常滑・河和線の前身、知多鉄道が日本車輛でデハ910形として製作したものです。1943年2月には知多鉄道が名鉄に合併され、名鉄モ910形として編入されました。長らく一般車として使用されましたが、1964年、3730系に電装品を譲って制御車ク2330形となりました。結果的には僅かな期間で再び電動車化されていますが、前回扱った近鉄モ5821形と同様の経過をたどっているのが興味深いところです。

本店の平社員から支店の部長へ

1966年から瀬戸線にも特急(特別料金不要)が運転されることになりました。モータリゼーションの影響で客足が落ち込み、遅い瀬戸線の汚名を挽回しようと名鉄が躍起になっていたことが伺われます。前年、ク2330形は木造車、モ600形の電装品を譲り受けて再び電動車化され、モ900形となって「転勤」して来ましたが、一部が特急仕様に改装され、なんと、ミュージックホーンも誇らしげに瀬戸線を快走することになったのです。なお、この時に1965年に付番されたものとは逆立ちさせるような改番が行われました。(下表参照)

 1973年には本線系からHL車、3700系が転入してきましたが、その目的が非貫通、手動扉の青電(緑色塗装車)を淘汰して安全性、サービスを向上させることにあったため、900形は主役の座を譲ることはなく、3700系と互して引き続き特急にも使用されました。

一夜にして車両を総入れ替え

600V最終日、さよならマーク付きのモ903瀬戸線で名古屋市の中心部へ出るには主に大津町からバスに乗り換えなければならず、アクセスの悪さはその機能を十分に果たしているとは言えませんでした。かなり前からターミナルの変更が検討され、決定までには紆余曲折がありましたが、栄まで地下線を建設して単独で乗り入れすることになりました。

 前段階の大きなできごとには1976年2月の外堀区間の休廃止(堀川−土居下)、1978年3月の1500V昇圧があります。600V車は1978年3月19日限りで使用を終了し、翌日からは全ての車両が地下区間走行のための基準を満たした1500V車に置き換えられることになりました。

 余談ながら、私も高校進学が決まった直後、600V最終日に訪問しています。この日初めて特急車のミュージックホーンを聞いて度肝を抜かれましたが、たまたま音程が完全にずれてしまっている音痴ホーンの車両だったようで、「都会のローカル線」らしくていいなと思ったことを思い出します。


名鉄を離れて全員が再起

名鉄の車両には瀬戸線で最後を迎える車両が少なくありませんが、モ900形は7両全てがグループ会社である福井鉄道と北陸鉄道へ引き取られることになりました。(因みに、600V時代最後まで残った28両のうち、廃車解体となったのは6両しかなかったのは意外ではありました。)2003年現在、転属から25年が経っていますが、稼動する機会が少ないながらもモハ141-2(元名鉄モ902)1両が福井鉄道で健在であるのは喜ばしい限りです。(モハ141-2 撮影:鈴木裕幸様)


●モ900形の遍歴

64年電装解除65年電装時66年改番時68年編成600V最終日改装譲渡先
2331901907907-2321907-232172赤福井モハ143‐2
2332902906906-2323906-230268赤 特急仕様北陸 モハ3744
2333903905905-2322905-232268赤 特急仕様北陸 モハ3743
2334904904904-2324904-232466赤 68特急仕様北陸 モハ3742
2335905903903-2303903-230366赤 特急仕様北陸 モハ3741
2336906902902-2302902-232366赤 特急仕様福井モハ141‐2
2337---901901-2301901-230166赤 特急仕様福井モハ142‐2

 特急仕様の内 ク2322 ク2323はロングシートのまま活躍。
 一般仕様のモ907+ク2321はロングシートニス塗りの車内のまま活躍白帯は,昭和43年に試験的に902編成に施工後,全車に及ぶ。
 再スカーレット化は,モ905編成を最初に進められたが,昇圧時において902、2302は白帯が残っています。


資料:「名鉄600V線区鉄道写真集」 鈴木裕幸様

■沿線利用者、運転士から見た名鉄モ900形

名鉄モ900形を取り上げるにあたり、沿線ご在住で小学生の頃から親しまれた山田司さん鈴木裕幸さんに同形の印象についてお願いしました。快くお引き受けいただくと共に、山田さんは600時代に運転士をされていたAさんにインタビューをして下さいました。900形が瀬戸線に導入された当時の印象など貴重なお話です。


モ900形の印象

●謝辞

相互リンク先「汽車・電車1971〜」のTADAさんからは一人暮らしを始めて最初に出掛けられたときの貴重な作品をご提供いただきました。多田さんのご推薦がなければモ900形を扱っていなかったかも知れません。
 山田司さんからは短時間でまとめられたとは思えないボリュームの原稿をいただき、驚きました。山田さん曰く、「瀬戸線の思い出の抽斗を開ければ、特にモ900について今でもすぐこれぐらいは書けるだけの記憶と印象が詰まっている」のだそうです。
 また、鈴木裕幸さんからは新今村駅「名鉄の希少車両」に続いて多くの資料をご提供いただきました。
 900形の車内の写真を撮影された加藤義秀さんは2002年、ご逝去されたとのことです。ご冥福をお祈りすると共に、ここに作品とお名前を末長く記させていただきたく思います。
 元職員のAさんには一般の者はなかなか知ることのできない貴重なお話を伺うことができました。先輩各氏の作品、談話を掲載させていただくことをたいへん光栄に思います。多大なるご協力をいただきました各氏に厚くお礼申し上げます。
 最後になりましたが、本稿が900形の瀬戸線での活躍を忍ぶ一助になれば幸いです。(碧)

 

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